プロローグ 「手紙」 |
親愛なるアイナ様 肌寒い日々が続いておりますが、お元気にされておりますでしょうか? 生まれ故郷のフィル村を出て、一ヶ月。 毎日が当たり前のように過ぎていった故郷の日々ですが、こうして新しい人生を迎えると些か懐かしくなります。 自分に厳しく他人に優しい父。 家族を温かく見守る母。 可愛い微笑みの似合う義妹。 思い出すだけで目頭が熱くなります。 今頃家族の皆がどうしているのだろうと、遠い空の下で思い煩っております。 え? それよりも私はどうしているか、ですか? ははは、安心して下さい。 私は温かい家族との思い出を胸に、目標に向かって旅する毎日です。 いずれは父のような男になり、母のような女性を妻にと夢見ております。 どうか私の事なぞ気になさらず、御身体にはお気をつけてこれからも幸せな毎日を送って下さい。 では、お元気で―― 差出人 シフォン=ノーブルレスト 「……逃げたわね、兄さん」 ワナワナと震える手で、クシャっと一気に手紙を丸める。 それだけでは足らず、ビリビリに破いて屑篭に投げ捨てた。 夜中に差し掛かった時間帯―― 薄暗い部屋の真ん中で、木彫りのテーブルの上にランプが点っている。 「何が幸せな毎日を送って下さい、ですか! 我が家の現状を知らない貴方ではないでしょう!」 ノーブルレスト家はシェザール国でも有数の名家だった。 戦乱時代に先祖が功を成し、広大な土地を有する領主に任命された。 一族は歴史を積み重ねて繁栄し、地位と権力を築き上げた。 ――先代までは。 現領主・ビリアーノ=ノーブルレスト。 この男が最悪だった。 重税を領民に課し、民の財を搾り取った。 独断専攻で政治を押し進め、反抗する家来・領民は容赦なく処罰した。 代々ノーブルレスト家に仕えてきた有能な家臣には見切りをつけられ、離反。 一代での独善改革は歪みを生み、政治・経済は破滅する一方。 何の才のない領主は領地の者達に不満の種を植え付け、萌芽した頃には領主に味方は一人もいなかった。 結果―― 「お母様だって夜逃げしたではないですか……」 その上現領主は無類の女好きで、正妻はおろか愛人も多数いた。 そのやり方もえげつない。 領民で十五歳になった女性を例外なく引っ立てて、見初めた女を手篭めにした。 引っ立ててた相手には妊婦すらいて、嗜好も幅広かった。 その妊婦の婚約者は殺され、愛人となって後に生んだ子供が……彼女である。 アイナ=ノーブルレスト、領主の養女となった女性。 彼女も明日……十五歳の誕生日を迎える。 「……よりにもよってお父様に、わたしは……」 アイナという少女が容貌が醜悪であれば問題はなかった。 しかし神は彼女に微笑んだか、嘲笑ったか――祝福を与えた。 燃えるような真紅の髪と透けるような白い肌。 ぴんと通った鼻筋に赤い唇、蒼銀色に輝いている瞳。 柔らかな下着を押し上げる少女の柔肌は、瑞々しい弾力に満ちている。 養女とはいえ、娘として育てられたアイナでも例外はない。 明日――この美しき花は父の物となる。 アイナは窓際に立って、満点の夜空に輝く星を見つめる。 「兄さん……」 ノーブルレスト家に育てられ、毎日が地獄だった。 日々育つ自分の肢体が疎ましく、劣情に濁った父の目から逃げてばかりだった。 同年代一族の者だからと嫌われて、友達は一人もいない。 学校にも行けず、家庭教師と本で勉学を学んだ。 このまま育てば人間不信になっていただろう。 彼女を変えたのは兄だった。 明るく溌剌とした少年。 奔放な性格は彼の生き様を育み、毎日家から抜け出しては町中を駆け回っていた。 妹であるアイナを可愛がり、いつも外に連れ出して一緒に遊んだ。 兄さんったら――いつもそう言っては溜息を吐いていたが、とても心地良い毎日だった。 アイナにとってたった一人の味方だった。 それなのに…… 「こうなったら――追いかけるまでです。 ええ、絶対に逃がしませんから!」 この家にいれば父親の玩具になるのは目に見えている。 何の未練もない。 育てられた恩は母が充分に払ってくれた。 母娘揃って夜逃げしなければいけない運命なのには涙が出るが、仕方ない。 問題は父がわたしにどの程度執着しているか、だ。 可愛がれてはきたが、娘としてではなく女として。 お気に入りの玩具を、そして実質上の領主の娘を放ってはおかないだろう。 「待っていて下さい、兄さん」 夜逃げした兄と夜逃げする妹。 物語は今、ここに幕を開いた。 to be continues・・・・・・ |
感想やご意見などを頂けるととても嬉しいです。 メールアドレスをお書き下されば、必ずお返事したいと思います。 |
[戻る] |