第四話 「微笑み」




 
 


 

なけなしのお金を渋々払ったシフォン。

都の中を堂々と歩ける服装をしていないもう一人の為に、屋台から離れる。

人目につく場所に行くのはまずいので、シフォンは早々に退散する決意を固める。


「はい、これ。熱いから気をつけて」


 まだ十分温かいタイヤキの袋を、ぶっきらぼうに渡した。

何しろ友人どころか、知り合いでも何でもない人間に奢る羽目になったのだ。

無一文は否が応でも人間にマイナスの感情を与えてしまう。

思っていたより苛立っている自分に気付き、シフォンは息を吐いて静める。

もう、終わった事だ。


「事情は聞かないけど、お金ないなら宝石は換金したほうが良いよ。
それじゃ」


 これ以上こんな怪しい人間と関わりたくはない。

それより早く寝床と仕事を探す必要がある。

シフォンはさっさと背を向けて、足早に去っていく。


『お……お待ち下さいっ 』


 ――その第一歩で止められるシフォン。

このまま豪快に無視すれば気分いいだろうなと思いつつ、振り返ってしまう自分が憎い。


「……まだ何か? 」

『……あ、あの……』

「うん、何?」

『……そ、その……』


 ――今更気付くのもどうかと思うが……怪人は女の子のようだ。

マスク越しで若干曇ってはいるが、鈴が鳴るような綺麗な声。

透明感のある美声が耳に心地良く聞こえる。

煮え切らない態度なのは、本人の性格だろう。

怒鳴っても仕方ないので辛抱強くシフォンが待っていると、唐突に女の子は頭を下げる。


『……本当に、その……あ、ありがとうございました。
あ、あの……御親切にしていただいたのに、その……』


 内から輝くようなプラチナブロンドが、フードより緩やかに零れる。

丁寧な仕草には育ちの良さが出ており、お辞儀に嫌味がない。

十人中九人は好感を持つだろう。

サングラスとマスクで隠れているが、それでも間近で見れば綺麗な女の子なのが分かる。

引っ込み思案な性格が言葉の端々に出ているが、恐縮している様子に微笑みを誘う。

シフォンも知らず知らずの内に警戒を緩めていた。


「いや、本当に気にしないでいいから。
あの親父さんが声かけなかったら、多分無視してただろうし」

『……で、でも、貴方様は……』


 マスク越しに小さく微笑んだのが分かった。


『……お金を……払って下さいました……』


 小さな声が、はっきりと女の子は言った。

素直にお礼を言われて全身がむず痒くなるが、悪い気分ではない。

先程までの陰鬱な気持ちが晴れていくのを感じた。


「はは……本当に気にしないで下さい。じゃあ僕はこれで」


 シフォンは照れ臭そうに頬を掻いて、手を振る。

もう女の子のおかしな変装については気にならなくなっていた。

惜しんでいた支払いも別にいいと思える。

純真な気持ちで別れの言葉を口にするが、フードの女の子は視線を下げたまま何も言わない。

白い指先をもじもじさせて少しの間黙っていたが、


『……あ、あの』

「? はい」

『……そ、その……ご、御迷惑でなければ……』

「はあ……」

『えと……あの……ほ、本当にお時間があればで……その……よろしいのですが……』


 フードの女の子は躊躇うように言葉を濁す。

人見知りか、余程の照れ屋なのか。

先を促すのも気が引けるので、シフォンは黙って言葉を待っている。

やがて――


『……い、一緒に食べませんか……? 』


 シフォンを前にして、女の子はマスクとサングラスで覆った顔を真っ赤にして差し出す。

小さな手の平の上に置かれているタイヤキの袋。

たったこれだけを言うだけでも、相当勇気のいる行為だったのだろう。

今時珍しい純真さに、シフォンは苦笑いを浮かべて頷いた。


 




 






都アクアスの中央に位置する自然公園はデートスポットの一つに挙げられる。

大きな噴水が美しい水のアーチを描き、自然が綺麗に整えられている公園。

この季節気持ちの良い風が優しく頬を撫で、散歩道には休日カップルが手を繋いで歩いている。

別に意図的に連れてきた訳ではなく、シフォンは少女の奇妙な変装を気にしてここへ連れて来た。

休日ならともかく、普段の日に公園にいるのは老人か子供が大半である。

噴水の傍のベンチにシフォンは座り、フードの女の子に隣をすすめたのだが……


「? 座らないの? 」

『……い、いえ、その……』


 女の子はきょろきょろと左右を見て、少し戸惑うように座る。

シフォンの隣の隣のそのまた隣――の果て。

ベンチの左右の隅に座る二人の距離差は二メートル。

やけに広々と開いた空間を凝視し、シフォンはぼんやり虚空を見つめる。


(これは……俗に言う嫌われているというやつ? 僕、実は警戒されてる?
何で!? 誘ったのは向こうなのに!? )


 変に距離を開けられて、会話に困るシフォン。

ちらりと横目で見ると、


『……あ』

「あ……」


 目と目があい、女の子は慌てて逸らす。

初対面から他人行儀過ぎる子だったが、明らかに距離を置かれている。


「あ、あの……何もそこまで豪快に離れなくても……
ぼ、僕は別に何もしませんから」 


 努めて穏やかに笑顔を形作って、フードの女の子に話しかける。

見た目から判断すれば警戒するのはシフォンの方なのだが、性格面が事態を裏切っていた。

女の子はそんなシフォンに見ないまま、恐縮した声で言った。


『……あ、あの……何もしませんか……? 』

「え、あ……な、何にもしない! 何にもしないから!? 」


 思いっきり首を振るシフォン。

女の子は顔を俯かせたまま、小さな声で話す。


『……お、御父様が言っておりました……
異性の方に席を勧められたら……その……必ず離れて座りなさいと……
し、下心のある証拠だと……』

「あ、あのね……」


 信じる娘も娘だが、そんな事を平然と教える父親も父親で問題がある。

その教えを守ろうものなら、隣に座れる男なんていなくなる。

この女の子の父親が何処の誰だか知らないが、余程娘を大切に育てているのだろう。

シフォンは呆れた顔をするが、ムキになって反発したら怖がられるだけだ。


「そ、それじゃあ、もう少しだけ傍に行ってもいい? せめて自然に会話が出来る距離で。
こんなに離れてたら話し辛いと思うし。
だ、大丈夫だよ。ほんとに何もする気は無いから」



 一応両手まであげてみる。

シフォンの必死で説明する挙動が功を奏したのか、女の子は表情を和らげて小さく頷いた。

『……はい、信じます。
も、申し訳ありません……私世情に疎くて、その……』

「ううん、いいよ。あ、自己紹介してなかったね。
僕はシフォン、シフォン=ノーブルレスト。
君の名前もよかったら教えてくれないかな? 」

『は、はい! あのわたし……ニ――』


 名を告げようとして、女の子は何やら慌てて口元を押さえた。

シフォンはきょとんとした顔で女の子を見つめ続ける。

女の子は頬をリンゴ色に染めて口を押さえたまま、もごもごと言う。


『ニ……ニーコ。ニーコとお呼び下さい、ノーブルレスト様』

「ニーコって言うんだ……うん、可愛い名前だね。
僕もシフォンでいいから」


 素性を知らない者同士。

それ以上は何も聞かず、二人は温かい微笑みを浮かべた。











 

 

メルヘブン街道・乗合馬車停留所。

皇国シェザールの領土を縦横無尽に隔てる街道に、幾つか設けられた待合場である。

どこの国でも悩みの種となっている野生モンスターの跋扈。

絶える事の無い盗賊や夜盗は旅する者達を襲い、国の流通を妨げる。

王ザムザは治安と各町村との交流の強化を行うべく、街道を整備した。

徹底された政策は数年で実を結び、安全は保証される事となった。

乗り合い馬車もその政策の一端で、旅慣れない者達でも気軽に広大な領土を回るようになる。

今では多くの庶民が馬車に乗り、行商人や冒険者も利用するようになった。

それがたとえ――世間慣れしていない女の子でも。


「……出発時間は三十分後。時間がかかるものですね」


 小さな旅行鞄が一つ。

長い間お世話になった家を捨て、故郷を後にしたアイナの持ち物はこれだけだった。

特に感慨も無い。

あの家には何も未練はなく、兄との懐かしい思い出の品と衣服があれば充分だった。

胸元キレイなベルカラータイプのシャツにプリーツスカート。

女性らしさ溢れる服を着るアイナは、誰もが目を惹くくらいに艶やかだった。

人々の喧騒に満ちている待合場の椅子に上品に座り、手元のパンフレットを広げる。


「皇都アクアス、大学院、ネルファ・ウレック関所、エッフェル鉱山行き。
便利な世の中になったものですね……」


 書物から世界の知識を得るのと、実際に世界に触れるのとでは訳が違う。

賑わう人々を間近で見て、心から実感できる。

やはり家を出て良かったと思う。


「兄さんの向かった先はアクアスで間違いないですね。
まずは職業安定所に行ってみましょう。
あの人のことですから、そろそろお金に困っているでしょうし」


 きちんと行動を決めて、何の疑いもしない所が恐ろしい。

完全に断定して、アイナは兄と出会う為の算段を練る。



「お一人ですか? 」



「……? 」


 広げたパンフレットをそのまま、アイナは顔をあげる。

身なりのいい男性がをじっと見つめている。

整った顔立ちに上品な服装をしているが、強い香水が過敏に鼻につく。

アイナは小さく肯定すると、


「よかった、私も一人なんです。
よろしければ話し相手になってもらえませんか? 」


 男性は笑みを強めて、柔和に願いを申し出る。

下衆な様子は微塵も無く、紳士的な姿勢は心を和らげる。

ハンサムと言い切れるこの男性にこのように言われれば、大抵の女性は警戒心を解くだろう。


「申し訳ありませんが、他の方をあたって下さいな」


 ――彼女を除いて。

にっこりと微笑んで、きっぱりと拒絶した。

柔らかい声と魅力的な笑顔は、男心をぐらつかせる。

事実、彼女の周囲でたまたま様子を見ていた者達は皆一様に見惚れていた。


「残念だな、君のような女性とご一緒できないなんて」

「ごめんなさい。わたくし、一人旅を楽しんでおりますから」

「貴方のようなお若く魅力的な女性がお一人ですと、危険ですよ。
どちらまで行かれるのですか? 」

「アクアスです」

「それは奇遇ですね。実は私もなんです。ぜひ御一緒に――」

 ぎゅっと、男はアイナの手を握る。

アイナはじっとその手を見つめて――


「……押しの強い御方ですね。
貴方のような殿方を見ていると、父を思い出します」


 そのまま優雅に立ち、アイナはそっと男の耳元で呟いた。


「私に触れていいのは――"兄さんだけですフリーズ" 」

「――ぅっ!? 」


 くすっと笑って手を離し、アイナは旅行鞄を手に取る。

様子を見ていた周りの人達に丁寧に一礼し、そのまま待合場を出て行った。

高貴な御令嬢の残した空気に、その場に居た者達は男女問わず心を奪われたまま。

誰も男性を気にするものは居ない。

立ったまま、白目を剥いて動かない男の事など――
 














 




to be continues・・・・・・







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