第五話 「始まり」 | ||
もしかしたらとは思ったけど―― シフォンは頭を抱える。 見た目からして変ではあるが、まさかここまでとは思わなかった。 この風変わりな女の子は、常識というものがまるで無い。 一つ一つ挙げてみると、 『……シフォン様』 「どうしたの? 」 『……その……此処で召し上がるのでしょうか……? 』 「そうだけど――気に入らなかった? 」 『い、いえ、その……テーブルがございませんので……』 「……」 本来の食事とは違うので気軽に、と教えたのが最初。 『……そのー、シフォン様』 「ど、どうしたの? 」 『……はしたない申し出でですが……ナイフとフォークを御貸し願えませんか? わたし、携帯しておりませんでしたので……』 「……」 気軽の意味から説明しないといけないのか、と思い知ったのは一分後。 『……あのー、シフォン様』 「こ、今度は何!? 食器なんて必要はないし、ナイフもフォークも全くこれっぽっちも全然いらない! 給仕なんて勿論必要ないぞ! 」 『とても美味しいですね、タイヤキって』 「……」 なるほど天然なんだ、と気付いたのは三分後。 隣でマスクを取って小さな口を美味しそうに動かしている女の子に、シフォンは嘆息する。 田舎から都会へ出てきた自分が言うのも何だが、こんなに世間知らずも珍しい。 とりあえずこの女の子の正体は別にして、素性はある程度分かった。 商家――もしくは貴族に匹敵する階級の御令嬢。 地方領主の息子であるシフォンだからこそ、その事実を知っている。 庶民と貴族では生活環境がまるで違う。 生活は豊かで何不自由なく過ごし、教育も超一流。 貴族の御令嬢ともなれば、それは大切に育てられたのだろう。 タイヤキを買うのに宝石を差し出したり、一般常識がまるでないのも分かる。 庶民は人間ではないと大それた考えを持つ貴族は少なくない。 この女の子には品があった。 マスクの下に見えるとろけるような可憐な唇に、隣で見ていてドキドキさせられる。 ただ気になるのは―― 「あのさ……ちょっと聞いていいかな? 」 『……は、はい、その……お答え出来る事でしたら』 「えーとさ、つっこんだ事聞くけど―― その変装って、一応人目を忍んでいるんだよね? 」 『…… その……わたし――』 「いや、別に事情を聞きたいとかじゃないんだ。 僕だって胸張って人前に出れるような素性でもないし」 家は無断で出て行き、親には一切何も告げていない。 残してきた妹に一方的に絶縁した事だけを伝えるべく、手紙を送っておいた。 身を立てていく上で、いずれは姓も捨てるつもりだ。 黙りこくるシフォンを前に、ニーコは不安になったように自分の身形を見る。 『あ、あの……どこか変でしょうか……? 』 「ま、まあ変かと言われれば変だというしかないけど……」 赤いローブを着て、サングラスとマスクをつけている人間。 このスタイルを似合っていると言うのは、お世辞どころか悪口だろう。 シフォンはどう言うべきか迷ったが、あえてストレートに知らせる事にした。 「ただ、君のその格好さ――」 『……は、はい』 「――目立ってるよ」 「え――」 呆然とするニーコ。 信じ難い事実を突きつけられたといった様子に、シフォンは苦笑いして補足する。 「一生懸命隠そうとする努力は認めるけど、怪しすぎて余計に人目を引いてるんだ。 周囲の人が見たら不審者と間違えられると思う」 ――というより、もう立派な不審者だった。 あのタイヤキ屋さんにしても、揉めた時役人を呼ばなかっただけでも立派だ。 客商売の鑑となれる人物かもしれない。 ニーコはショックを受けたように、顔を俯かせた。 『……お父様に御貸し頂いた書物には……顔を隠すにはこの服装だと……』 「き、君の親父さんに個人的な興味がわいてきたけど―― とりあえずその格好で街中に出るのは止めた方がいいね」 そのままタイヤキの尻尾を頬張る。 半分に割って頭の部分をニーコに渡すくらいの礼儀は心得ていた。 空腹に温かい甘さが染みる…… 静かになった二人に、涼やかな横風が流れる。 公園の木々が優しく揺れるのを目にし、シフォンは笑みを浮かべて立ち上がった。 「タイヤキのお礼代わりに、僕からの忠告として受け止めておいて」 いつの間にかのんびりと過ごしてしまい、太陽は真上に昇っている。 ニーコとの時間をまだ堪能はしていたいが、世間の冷たい風がそれを許さない。 まだこの都の地理に不慣れな自分。 せめて隅々まで回って、寝床になりそうな場所を探さないといけない。 ――正直に言えばニーコの事が気掛かりだが、人の面倒を見ている余裕までシフォンには無かった。 「それじゃあちょっと名残惜しいけど……僕はそろそろ―― タイヤキ、御馳走様」 『い、いえ! わたしこそ親切にして頂いて……』 ニーコは慌てて立ち上がって、深々と頭を下げる。 シフォンはううんと首を振って、ニーコの手をそっと握った。 『あ……』 「ひょんな出会い方だったけど、楽しかった。 また逢えたらいいな、ニーコ」 ……不思議と失礼だとは思わなかった。 名前を呼んだ事も、手を握った事も―― 向こうからすれば、得体の知れない男だと思われているかもしれない。 さっき会ったばかりの不思議な女の子。 関わりたくないと思っていたさっきまでの自分がもういない。 妹のような親愛と恋人のような純愛が、傍に居るだけで生まれてくる。 何も打ち明けられないお互いの関係が、ひどく悔やまれる。 初対面でこんなに想いを生み出す女の子、ニーコ。 未練を手を離す事で捨てて、シフォンはその場からゆっくり離れる。 『……シフォン様……』 ニーコの声に引き止めるような響きを感じた自分を、シフォンは傲慢に思えて仕方なかった。 幾千幾万の年月。 数えるのも馬鹿らしいほどの生を貪り、死を満喫してきた。 人間は我が身を畏怖し、忌み嫌い、弾圧する。 だが、所詮下等にして脆弱な種族。 力を振るえば容易く壊れ、むざむざ生命を供給するだけの結末を辿った。 自由だった。 死ですら我が身を縛り付けられない。 大空に羽を広げて飛び回り、世界の全てを飛び回ったあの日々。 生きるだけ生きて、望むがままに生命を貪った。 天使や悪魔にすら恐れられた存在。 強大にして濃密なる力。 過ぎ行く幾星霜の時代を巡り、今は―― 『……断る』 闇のカーテンに閉ざされた小さな部屋。 飾り栄えの無い密室の空間にふさわしい、重々しい声が響く。 「やれやれ……困りましたな。なかなかに頑固なお方だ」 室内に響くもう一つの声。 まるで機械のように感情が無く、それでいて相手を痛烈に皮肉っている。 『我は我として、我の為に存在する』 「そして――我々は貴女の為に存在している」 『ならば、我を解き放て』 「我らは貴女様を敬愛し、貴女様を心から案じている。 貴女様の御傍こそ我らの居場所、貴方様こそが我らの生きる道理なのです」 『フン、我を利用したいだけであろう。くだらぬ。 人間とは時を重ねてもその愚かさは変わらぬな。この様な封印で我を縛り付けよって』 清掃されていない部屋は埃にかぶっていた。 黄ばんだカーテン、傷付いたテーブル、足の折れた椅子…… テーブルの上に置かれた小さな小瓶。 「もう一度願いましょう。我らに大いなる力をお与え下さい」 『断る。早く殺せ。 永き眠りから目覚めたばかりゆえ、力は衰えておる。 貴様如き下衆でも殺す事は出来よう』 凛とした声。 他者に依存しない毅然とした態度は、その誉れ高き誇りゆえに―― だがそれすらも予想の内と、彼の者は笑う。 「ならば我らが捧げましょう。貴女様の御力の為に」 『……貴様如きが? 如何様にするつもりじゃ』 「クク・・・・・・全ては貴女様の為に――」 彼の者は笑う。高らかに、高らかに・・・・・・ 赤いローブを揺らして。 to be continues・・・・・・
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