第六話 「教会」




 
 夜の帳が下りて、一日は終わりを告げようとしている。 
 
都には街灯がほのかに灯されて、都中を照らし出す。 
 
都の北部・新区画では、人々の喧騒は決して絶える事は無い 
 
酒場や食堂・夜店では今日の仕事を終えた人々が労いあって、疲れを癒す。

芸術の都に本当の夜は訪れない。

新区画には多くの店が賑わうマーケットに宿舎通り。

ネルファの誇りであるローレント劇場にセイント大教会と、都の名所が集っている。

昼には昼の顔が、夜には夜の顔が此処にはある。



そう――夜には夜の顔が存在する。






 











「……ぼ、ぼろい……」


 呆然とした顔で、シフォンは荷物片手に目の前の建物を見上げる。

旧セイント教会。

かつては大勢の参拝者が訪れていたであろうその建物も、長年放置されて廃墟同然となっていた。

朽ち果てた壁には蔓が巻き付き、風雨の汚れで変色している。

窓ガラスは無残に割れており、屋根にすら欠落が見えていた。

煌びやかな新区画に比べ、南部に位置する旧区画にはこの様な建物が多い。

平均的労働者や階級の低い者が居場所を求めてやって来る場所であった。

現国王も区画の復興に着手しているが、なかなか難航しているようだ。

もっとも悪い面ばかりではない。

この辺は新区画に比べ金はかからず、住み易い。

まがりなりにも都の一部という事もあり、貧乏な学生や不定労働者には重宝されていた。

とはいえ――住み心地の悪さは無論ある。


「取り壊し前の教会か……幽霊でも出そうだな……」


 ニーコとの別れの後散々うろつき回り、人づてに紹介されたのが此処である。

昼間は子供の遊び場と化している古びた教会で、取り壊し待ちの建物だった。

金が無い以上、安宿にも泊まれないシフォンに贅沢は許されない。

雑草で荒れ放題の庭を横切って、激しい音を立てる錆びた扉を開いて中へ入った。


「……屋根があるだけましだと思っておくか」


 内装なんて見る気にもならない。

かつて礼拝堂だったフロアを陣取り、シフォンは床に荷物を置く。

そのままゆっくり壊れかけの長椅子に寝そべり、暗い天井を見上げた。


「腹減ったな……」


 盛んに栄養を求める腹をさする。

実際に都を歩いてみると、これがまたとんでもなく広かった。

往来を歩く人々も人間のみならず、他種族の者達も当たり前のように歩いている。

懐の広い都――いや、国だと思う。

大きな都で沢山の人々が住む中を、一人で歩くのは少し寂しい気もした。

世界でただ一人という錯覚にも陥り、気分も滅入ってくる。

故郷を捨てた自分に味方は誰もいない。


「……どうしているかな、アイツ」


 冷たい家族の中の唯一の灯火。

血の繋がらない自分を慕ってくれた妹を思い出す。

昔からとてもしっかりしていて、よく無作法を怒られた。

その一方で、甘えが強く相手をしないと拗ねる。

一人残してきたが、多分大丈夫だろう。

鬼畜な父は容姿端麗な妹を狙っているが、毒牙にかけるのはまず無理だ。

何故なら――


「……あれ?」


 かすかな音が聞こえて耳をすませると、突然外から激しい水音が窓を叩きつける。

慌てて窓から外を覗くと、大振りの雨が天から降り注いでいた。

シフォンは露骨に顔をしかめる。


「やばかった……野宿してたら風邪ひいてたな……」


 傘は一応携帯しているが、家から持ち出した安物である。

傘を差したまま、外で一晩過ごすのは死んでも御免だった。

一応屋根のある場所を確保出来た幸運に感謝するが、すぐに自分の認識の甘さに痛感する。


「……ま、そんなに世の中甘くないか」


 天井から無情に零れる雨漏りに、シフォンは嘆息する。

仮宿とはいえ、教会だった建物である。

礼拝堂以外にも部屋は幾つかあるので、雨漏りしない部屋もあるだろう。

灯りも無い教会に断続的に雨音が響く――

静まり返った暗い礼拝堂にその音が微妙な雰囲気を生み出し、寂しさと恐怖を誘う。

じっと立っていれば感傷に襲われそうになり、シフォンは窓際から離れようとして――足を止める


「……ん?」


 窓の外に見えるのは雨景色。

街灯すらまともに整備されていない旧区画は、夜になると暗闇に満たされる。

行政区域からも離れているこの教会は文字通り街の外れで、昼間でも人通りは無い。


「うーん……」


 シフォンは窓の外を凝視する。

一階の礼拝堂から見えるのはせいぜい荒れ放題の中庭と、教会の出入り口のみ。

以前は扉で出入りを管理していたであろうそれも、今は朽ち果てて開けっ放しになっている。

気配も何も感じられない。

シフォンは怪訝な顔で首を傾げ、窓枠から手を離したその時、


(――違う。やっぱ、誰か居る)


 雨量が増していく中、教会の入り口に薄っすらとだが影が見えた。

シフォンは一旦窓の端に寄り、外からは見えない体勢で窓の外に視線を向ける。

距離が少し遠い上に真夜中で灯りもないとあって殆ど見えないが、誰か居るのは分かった。

こんな激しい雨の中で傘も差さず、闇に溶け込んでいる小さな人影。

シフォンは疑惑を深める。


(……偶然通りかかった、って感じじゃないな。
僕が言うのも何だけど、ものすごく怪しすぎる)


 宿を求めてここへ来たのなら、とっとと中へ入ればいい。

灯りもつけていないのだ、外から見れば教会内は無人に見える。

雨足が強くなっているのに、あんな所でぼけっと突っ立っている必要も無い。

なのに、人影はあそこから動こうとしない。


(何か不気味だな……へ?
待った、待った!? もしかして、あれって……)


 顔が見えないのは当然だ。

真夜中の教会の出入り口に佇む人影はローブを身に纏っていた。

暗闇の世界を彩る赤きローブ――

夜に溶け込む黒いサングラスに白のマスク。

見覚えのありすぎる来訪者だった。


「……ニーコ……?」


 この都で出会った変な女の子。

タイヤキ一つ買うのに揉め事を起こし、初めて食べたと喜んでいた娘が何故か目の前に居る。

声をかけてみようか? ――そう思うが、身体が動かない。

昼間呑気な声でタイヤキを食べていた女の子が、夜に見せた顔はまるで別人だった。

冷たい雨の雫が全身を濡らしているが、身動き一つしない。

遠目から見ても毅然とした姿勢で、背筋を真っ直ぐに伸ばして立っていた。

一枚の肖像画を見るように、シフォンは雰囲気に飲まれて動けなかった。

唾を飲む。

雨に濡れた空気が呼吸を潤し、冷たい風が浸透する。

窓の陰に隠れたまま無言で様子を見る。
 

 
(……なっ)
 


 何時から其処に居たのか?

目を離した覚えは全く無い。

なのに――ニーコの前にソイツはいた。

小柄なニーコを覆わんばかりの闇――

同じ紅のローブで全身を覆う人影が、ニーコの前に姿を見せている。

気配も全く感じなかった。

まるで初めから其処に居たかのように、夜の舞台に役者が登場していた。

全身が泡立つ――

人として生を為し、本能に刻まれた原始的恐怖が心を震わせる。


「――御待ちしておりました、姫君」


(……アイツ……やばい……)


 関わるな、と脳が悲鳴を上げている。

動けば死ぬ、と身体が軋んでいる。


――あの娘が死ぬ、と心が助けを呼んでいる。


(……ニーコ……!)

「動くな」



 ――喉に冷たい感触。



今度こそシフォンは心身を束縛された。 









 


 

 














 




to be continues・・・・・・







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