第九話 「悲鳴」 |
雨は浄。 崇高なる生命が宿る世界を洗い流してくれる。 祷りよりも、願いよりも、希望よりも。 夜は慈悲。 人の醜さを、闇で隠してくれる―― 「――全員です」 「確かか?」 「はい……待機していた五名、神の御許へ参りました」 「……そうか」 降り続ける雨は死に逝った者達の無念の涙か、止む気配を見せない。 共に纏いしローブ。 厳かな教会の前で、血より紅き衣に身を包んだ者達は語る。 「丁重に葬ってやりなさい。 彼らは偉大なる神の子、我らが教徒なのだから」 「……分かりました」 静寂の夜、地に膝つきし者と佇む者。 絶対の信仰を掲げ、神への愛を主とする者。 信者と教主。 頭を垂れる信者の前で、教主は黙って祷りを捧げている。 共に生き、共に歩み、共に神に殉じた同胞達が死んだ。 全員、鋭利な刃物で喉を裂かれている。 一瞬で行われたのだろう、悲鳴を上げる間も無く死に絶えたに違いない。 絶命した者達に苦痛の色が無かったのがせめてもの救いか。 やがて、跪いた者は顔を上げる。 「現在、恐れ多くも"聖女"を攫った者の行方を追っております。 捕獲は時間の問題かと」 準備は万端だった。 今宵聖女は我が神に身も心も捧げ、偉大なる神が降臨する。 教主は宣告し、教徒達は大いなる喜びを持って今日という日を待ちわびた。 その聖夜を――汚された。 突如物陰から不意打ちし、聖女を強引に攫っていった男。 まぎれもなく、神への反逆。 崇高なる御心を、気高くも麗しき教えに背く行為。 教徒は純然たる怒りを胸に、叛徒と聖女を追っている。 信者の報告に、教主もまた明確な意思を見せる。 「聖女に傷一つつけぬように。 背信者には其れ相応の罰をお与えなさい」 「――はっ」 男は立ち上がり、両手の平を組む。 己が信ずる存在への拝そうの証。 神への祷りの印。 「主なる神に栄えあれ」 「従なるヒトには幸あれ」 最後に頭を垂れて、従なる信者は夜の闇へと消えていった。 多数いた他の信者も全力で背信者と聖女を追っている。 攫われたのは迂闊としか言い様が無いが、所詮微々たるもの。 決して逃げられる筈も無い。 教祖は一人、身体を小刻みに揺する。 心に満ちた愉悦に震わせて。 「聖女は既に我が手の中に。そして――」 男は胸に手をやる。 懐よりそっと取り出したるは、禍々しく染まった黒い瓶。 手の中にすっぽり収まる小さなその瓶を、男はそっと目線に掲げる。 「我が神にも御尊顔申し上げる」 『――フン、たかが人間如きが増長しおる』 清涼にして、静謐。 頭の中にまで届きそうな心地良き女性の声が、小瓶より発せられる。 教祖は何ら顔色を変えず、淡々と話す。 「この世に神が降臨する。 まごう事なき奇跡に、ヒトは頬を濡らして貴女をお迎えするでしょう」 『くだらん』 「召還の準備は整っております。 待ち遠しい限りだ、貴女の美しき御姿を御拝謁出来るその瞬間を」 『――その汚らしい脳みそにしかと留めておけ』 苦痛と苦渋。 誇り高き魂を汚された怒りと哀しみが、声を震わせる。 『力を取り戻したその瞬間、貴様を真っ先に殺す。 四肢を引き裂き、腸を食い千切り、魂を灼熱の地獄に堕としてくれる』 耳にするだけで恐怖の絶頂に陥れそうな宣告。 盲信の神の御使いに、それでも揺るぎは無い。 「我にそのような試練をお与え下さるのですか、神よ。 されど御忘れか? 貴女と私は二つにして、絶対なる一」 『・・・・・・』 突如、押し黙る声の主。 「主従の契りを結んだのです。貴女様への絶対の誓いを」 『――この屈辱は未来永劫忘れん。 例え存在が無くなろうと、輪廻を超えて貴様を滅ぼす』 「おお、神よ! 私は貴女を――!」 教主は恍惚の顔で―― 「――ガッ・・・・・・!」 ――喉笛を飛来したナイフに貫かれた。 多人数の戦闘は初めてだが、不意をついたのがよかった。 全身を重く濡らす雨は視界を遮り、突風が行動と聴覚を妨げる。 悪天候は著しく行動を制限するが、逃亡には有利でもあった。 切り結び、払い除け、突き飛ばす。 闇雲に駆け抜けて――普通に、道に迷った。 「――新区画まで逃げれば、役所に避難できたんだけど」 とうの昔に捨てられた廃屋。 壁や屋根に大穴があいており、壁や床には苔や雑草で酷い。 汚らしさに虫も大量に沸いて出そうだが、身を隠すのに不便さは無い。 ボロボロだが、半壊した屋根もある程度の雨宿りの効果がある。 旧区画ではこんな貧民地域は珍しくも無い。 放置された建物はまだまだ残っており、社会からはみ出した者達が我が物顔で所有している。 幸いというか、飛び込んだこの建物には誰も居なかった。 周囲を警戒し、追っ手を巻いたと確信して、シフォンはようやく息を吐いた。 「まさか道に迷うとは・・・・・・ せめて、昼間に地理の把握をしておけばよかったか」 後悔しても遅すぎる。 一応地図も観光目当てで売られているが、シフォンは無一文。 買える筈も無く、また荷物も協会に置きっぱなしだった。 ただでさえこの都は広く、旧区画の路地は迷路のように入り組んでいる。 勢い任せに逃走すれば、この結果は当たり前だったかもしれない。 シフォンは嘆息し、ふと横を見る。 ――濡れ鼠の女の子。 ローブはずぶ濡れ。 白いマスクは湿気に透き通っており、サングラスはずれそうになっている。 ローブの陰より流れる髪は、雫がポタポタ垂れていた。 隠れた表情から判断は出来ないが、呆然としているように見える。 「・・・・・・」 挙動不審というよりも、事態に明らかに取り残されていた。 当たり前かもしれない。 本人の了承を得ず、引っ張って此処まで連れて来たのだ。 どう言えばいいのかシフォンはしばし逡巡し―― ――言いたい事なんて既に決まっていた。 シフォンは濡れた身体をそのままに、息を思いっきり吸って、 「この・・・・・・馬鹿!!!!」 「――きゃっ!?」 百年の眠りも覚めそうな怒号。 シフォンは感情が暴発するのを止められなかった。 「何夜遊びしてるんだ、お前は!」 「・・・ぇ、ぁ、ぅ・・・・・・」 「何なんだよ、あの怪しさ大爆発の連中は! お前もお前で同じような格好しやがって! かっこいいつもりか! ファッションか!? 実はファッションだったりするのか!?」 理論なんて目じゃない。 シフォンは今、この夜に起きた全てに腹を立てていた。 「知らない奴について行っては駄目って子供の頃教わらなかったのか、お前は!!」 「・・・・・・ぁぅ、お、御父様に・・・・・・」 「ほら見ろ! 親の言い付けくらい守れよ!」 「・・・・・・ついて行くのは、愛するパパ一人だけだと・・・・・・」 「前言超撤回! むしろお前のお父さんを一発殴らせろ!」 心の底から、怒っている。 理不尽な現実、非日常な人間達、無情なる生と死。 「タイヤキ買うのにアウアウ言ってる奴が、あんなやばそうな奴とつるむんじゃない!」 「・・・・・・は、はい。で、でも・・・・・・」 ほんの束の間でも、敵から逃げてしまった事への怒り。 「忘れんじゃねえぞ!」 そして、何より―― 「僕はお前を、友達だと思ってるんだからな!」 ――大切な友達を救えた事への安堵。 シフォンは知らず――涙を零していた。 「・・・・・・心配かけるんじゃねえ、この・・・・・・馬鹿! 馬鹿ニーコ!」 持っていた短剣を力なく取り落とし、息を荒げて声を詰まらせる。 ニーコはその言葉をしっかりかみ締めて―― 「・・・・・・う・・・・・・う・・・シフォン様・・・・・・シフォン様・・・・・・っ!」 そのまま少年の胸に、飛び込んだ。 「怖かったれす・・・・・・怖かったんれすよー・・・・・・ 不安で、怖くて・・・・・・分からなくて・・・・・・何で、何でこんな・・・・・・ 御父様にも御姉様にも話せなくて、わたし・・・・・・どうすればいいか・・・・・・う、うう・・・・・・」 鼻声混じりに嗚咽する少女を、シフォンはしっかり抱きしめる。 今度こそ、二度と手放さないように。 to be continues・・・・・・ |
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