第十一話 「家出」




 
見知った女の子が危うかったので、手を差し伸べた。

我ながら勇気ある行動だとは思うが、自分の迂闊さにシフォンは頭を抱える。
 
荷物を置き去りにしてきてしまった。

あの荷物には衣類や身の回りの幾つかの品、昼間行った就職相談で受け取った書類が入っている。

さすがに実家に繋がるものはないが、不安である事には変わりは無い。

その手の世界に属している人間ならともかく、シフォンは民間人である。

ほんの少し――些細な失敗でさえ、とてつもない過ちのように思えてしまう。

不安は更なる不安を呼び、疑心暗鬼に陥ってしまいそうだった。

追っ手がこのまま諦めてくれるとも思えない。

この状況下を脱する手掛かりを求めて、シフォンはニンファの話に耳を傾ける。


「……シフォン様はわたしをお友達だと、そう仰ってくれましたね」

「う、うん、そのつもりなんだけど――無礼だったかな?」

「い、いいえ!? ……そ、その……嬉しかったです。
わたしには……ノエルしかお友達がおりませんでしたから」

「ノエル?」
 
「……はい。
いつもわたしの傍にいてくれた、大切なお友達です」
 
 
 若干の違和感。

脳裏を掠めるその感覚の正体を、シフォンは一瞬後理解する。

いてくれた、と言った。

つまり――


「……居なくなったのか、そいつ」

「……」


 可憐なニーファの表情が悲しみに曇る。

胸に小さな罪悪感を覚えるが、聞かない訳にはいかない。


「あの連中が、何か関係しているのか?」

「……今朝の事です。
お父様とお姉様との朝の食事を終えて部屋に戻ってみると、大きな箱と手紙が置かれておりました」

「箱?」

「――このローブが入っておりました」

「…」


 少しずつ、シフォンの心を暗く霞ませていた霧が晴れていく。

少なくともニーファが自主的にローブを手に入れたのではない。

それだけでも少し救われた気がした。

心なしか安堵の息を吐いて、シフォンは問う。


「ローブが入っていた箱の傍に手紙……内容を聞いてもいいかな?」

「はい、わたし持って来ていますから」


 そう言って、ニンファは胸元に手を伸ばして――


「お、おい!?」

「……はい?」

「はいって、そんな無防備に胸を――いや、もういいや」

「あの……何かわたし、お気に触る事致しましたでしょうか……
ど、どうして後ろを向かれるのですか!?」

「ニーコ相手に照れてる僕が馬鹿馬鹿しくなってきただけ。
一応言っておくけど、他の男の前でそういう事はしないように」

「そういう事?」

「――早く手紙を見せて!」

「は、はい!?」


 お姫様は慎みが大切なんじゃないのか、でもニーコって意外に胸が――

などとシフォンがもやもやしている間に、ニンファは手紙を取り出して渡す。

少し湿気ているが、ニンファの身体の温もりが感じられる。

少年なりにどぎまぎしながら手紙を広げ、内容を見る。



『貴女の大切な御友人を御預りしております。
再会を御望みであれば、今宵行なわれるパーティに御参加願いします。
今晩12時、フレスタ旧聖堂にて――ドレスに身を包んだ貴女を御待ちしております。
くれぐれも、御一人で来て下さいます様に』



 差出人の名は無く、裏面には何も記載が無い。

粗野な文句や苦言は見当たらないが、内容は明らかな脅迫である。

少しでも裏を見取れば、友人が誘拐された事くらい誰でも分かる。

流麗な字で書かれた丁寧な言葉遣いが、一層気味の悪さを感じさせた。

手紙を破り捨てたい衝動に駆られるが、行為に何の意味も無い。


「……それで姿を隠して、一人で……
両親にも言わなかったのか?」

「――はい」


 小さく、されどしっかりと頷く。


「…連中の狙いは君だ。友達だって解放される保証は無いんだぞ?
まして、君はこの国の姫だ。
軽はずみに行動すれば、君自身に大きな危険が――」


 ニンファは頭を振る。


「……いいんです」

「けどっ!」

「・・・きっと、シフォン様の仰られる通りだと思います。 お城の皆さんや、お父様やお姉様。 わたしが今こうしている事が、大勢の皆さんにご迷惑を――」


 シフォンの懸念は、ニンファも気にしている。

こうして一人城から抜け出す前に、悩み苦しみ――心を痛めただろう。

沢山の人達に愛される人間は、沢山の人達の想いを大切に出来る人間なのだから。


「でも……わたしにはお友達なんていませんでした……
いつも城の中でずっと一人で……あ、お姉様とお父様が遊んでくれましたけど……
でも……寂しかった……
そんなわたしに、ノエルはとても優しくしてくれました」


 顔をあげて、ニンファはシフォンの目を見る。


「ノエルを――助けたいんです」

「――――っ」


 辛そうに――それでいて、優しさと温かさのある微笑み。

ニーファとは半日程度、過ごした時間で言えば数時間でしかない。

しかし、それでも彼女の人となりは分かる。

家族に愛されて育った純真無垢な女の子。

世間の醜さや人々の欲望などとは程遠い世界で生きてきた。

そんなお姫様が大切な友達を攫われたとはいえ、一人で救う事を決意した。

自身を隠し、身分を偽ったのも全ては友人の為。

自分が危険に陥るのもかまわず、誰にも相談しないで一人家の外へ飛び出した。

そこにどれほどの勇気が必要だったのだろう。

どれほどの恐怖と不安を抱えていたのだろう。

雨の中、一人震えて、それでも逃げ出したりはしなかった。

家族や城の人間を心配させるのだと分かっていても、見捨てる事が出来なかった――


――自分は何と薄っぺらい。


ニンファは友達だから助けた?

――嘘だ。

本当は、縋り付きたかっただけだ。

巨大な都の真ん中で一人は寂しいから。

ナイフを突きつけられて怖かったから。

ニンファは友達を助ける為に家を出た。

僕は?

僕は――ただ、逃げ出しただけ。

本当に父の行いが許せないのなら、何故父親と対決しなかった?

家を黙って飛び出したのはどうしてだ?

――戦わなければいけない相手は、目の前に居たのではないのか?

ニンファは戦う事を決意した。

彼女なりに、精一杯の勇気を振り絞って、家族という名の揺り篭から飛び出した。

国の皇女という立場からすれば、誉められるべき行いではないのかもしれない。

王族は人の上に立ち、人を律し、人を守る一族。

時には冷酷な決断を下しても、国の為に己が存在を守らなければいけない。

それでも――助ける事を選んだ。

小さな雛鳥が、暗雲満ちる大空へ羽ばたいたのだ。

家庭環境は雲泥の差。

お互いの立場が違えばどうなっていたかは、誰にも分からない。

けれど――シフォンは思う。

ニンファが持つ雛鳥の勇気優しさに満ちた勇気を、自分は持てていただろうか?

暗い教会で、ニンファの手を取って逃げた。

でも本当にあの時助けられたのは――

恐怖に怯える自分が勇気を出せたのは――


――情けなくて、シフォンは涙が出そうになった。


「――シフォン様?」

「う、ううん! 何でもない」


 心配そうに見守るニンファに、シフォンは自責の念を押し殺して顔を上げる。

自分に酔って悲しみにくれている暇は無い。


「何か心当たりとかはない?
ニーコ――だけじゃない。君のお姉さんや王様の周りで何か不穏な事件とか気配とか。
その…ニーコは姫様だ。脅迫なんて正気の沙汰じゃない。
危害を加えた時点で重罪になる。
そんな危険を冒してまで君を狙ったんだから、何か重大な理由があると思う」


 それに――シフォンは考える。

話によると、朝御飯中で部屋を空けている間に箱と手紙が置かれていた。

その間の正確な時間は聞かなければ分からないが、それほど長くは無いだろう。

その僅かな時間帯に王城のニーコの部屋に忍び込み、立ち去ったのだ。

困難極まりない行為である。

ニーコは申し訳なさそうに、


「……思い当たる点は特に……
近隣諸国も平穏で、城の中も平和そのものでした。
ご、ごめんなさい、シフォン様」

「謝る必要は無いって。うーん、心当たりはなしか」


 もっとも、今までの話からするとニンファは世間から遠ざけられていた節がある。

娘可愛さとはいえ、父親の王様がもし何か危険を察知していてもニンファに教えていたとは思い難い。

質問を続ける。


「城の中に怪しい奴とは居なかった?」

「…いいえ。皆さん、とても良い方です。時折御菓子や果物をくださるんですよ」

「あ、あはは、そ、そう……」


 完全に子ども扱いだな、と内心苦笑するシフォン。

しかし内情に変化が無いとすると、犯人はどうやって城の中へ忍び込んだのか?

王城なんて気軽に遊びに行ける場所じゃない。

易々と姫君の部屋への侵入を許す王城なんて、他国に恥を晒すだけだ。

大胆不敵にして、国家反逆に匹敵する重罪。

この誘拐の狙いや意図がはっきりしない。

そう考えると、新たな疑問が沸いてくる。

ニンファはどうやって城を抜け出したのだろう――

まさか父の王や姉とやらに外出許可を貰ったとも思えず、かといって誰にもばれずに城を出れるだろうか?

気になるが、シフォンはそれよりも手痛い事実に気づいた。


「しかし、そうなると弱ったな……」

「……どうかいたしましたか、シフォン様?」

「いや、その……言い辛いんだけど……
君を強引に連れ出したのがまずかったと思って。
僕は君の行動の意味を全部無駄にして、取引を壊してしまった」


 事情を知らなかったなんて言い訳にもならない。

誘拐犯からすれば、ニーコが取引を一方的に破棄したと思うだろう。

第三者の身勝手な行動だと、判断する材料があちら側には無いのだ。

怒りにかられて人質を殺す可能性は……残念ながら、充分にありすぎる。

ニーコは沈痛な表情を浮かべて、


「――シフォン様は」

「!? 静かにっ!」


 何か言いかけたニンファを制して、二階の窓際から外を見る。

薄暗い闇夜にぼんやりと浮かび上がる紅の人影。

一直線に、シフォンとニーファが潜む建物に近づいていた。
 
 

























 




to be continues・・・・・・







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