第十四話 「堕落」




 
 顔面より零れる水滴。

血と泥にまみれた顔を洗い流す雨。

そして――大量の血液。


「・・・・・アギギャギャアアアアアア・・・・・・!!!」


 絶叫。

鋭利なナイフで腹を裂かれ、悲鳴を上げる。

切り裂かれた腹から生々しい腸がこぼれ、さらなる悲痛な声が湧き出る。

幼子が見れば卒倒しかねない光景。

唯一の救いは、苦痛と苦悶がほんの一瞬で終わった事だろう。

直後喉を貫かれ、倒れた。

悲鳴は消え、生は閉ざされて、死が訪れる。

沈黙。

その光景を――シフォンは驚愕の眼差しで見つめていた。


(・・・・・・な)


 死を煽りかねない挑発。

何故あんな事を言ったのか、今でもその理由は分からない。

自分の命は大切だ。

何度も顔を殴打されて、泣きたくなる位痛かった。

命乞いすれば許してやると言われれば、躊躇い無く土下座していたかもしれない。

なのに――


『・・・・誘拐・・・犯に・・・・・・説教なんて、されたくないね・・・・・・!』


 命より――己が内の何かを優先した。

正義の怒りでもない、敗者の戯言でもない。

その叫びは目の前の男に。

その真意は――この理不尽な現実に向かって叫んだ。

当然怒りを買って、ズタボロにされた。

男が振り上げるナイフを霞んだ意識の隅で見つめて――


死神が舞い降りた。


一瞬だった。

無感情な横顔が目の前を通り過ぎて、シフォンを殺そうとした男の命を奪った。

命を奪おうとした男が逆に奪われる。

性質の悪い喜劇のようだった。


(・・・な、んで・・・)


 黒衣の男。

教会で後ろからナイフを突き付けて、脅迫された。

その男が何故――

助けてくれたのだと思えるほど、シフォンは楽観視していない。

むしろ真逆。

先程自分を殺そうとした男より――余程、恐ろしい・・・・・・


「き、貴様! このガキの仲――ごぁッ!?」


 もう一人の男に飛来するナイフ。

詰問の間を与えず、死神は命を刈り取った。

地面に倒れたまま、シフォンは腫れ上がった顔を上にぼんやりと向ける。

凄絶なまでに整った顔立ちと、足の長さが際立つ背丈。

夜の闇に溶け込む男は、最後の一人に顔を向ける。

ヒィっと口内で小さく悲鳴を上げて、必死な形相で神に救いを求めた――


「"世界に触れる力かみよ"」

「・・・・・・」


 男は表情を崩さず、腰元からナイフを抜き放つ。

死神と魔法使。

その距離差は数メートル――!!


『"命令コマンド"――"氷の飛礫アイティクル・フルーテ"!!』


 術者の掌より放たれし氷の弾が、敵と定めた者へ襲い掛かる。


「・・・」


 黒衣の男は鋭いステップを踏み、水溜りを弾いて前へと進む。

襲来する飛礫を次々と回避し、足の歩みを止めない。

対象者を見失って、廃墟の壁に突き刺さって消える。

死神は魔法使の眼前に迫り――


「ガハァ!?」


 ――真一文字に、ナイフを振るった。

シフォンが愕然とする。

魔法使は社会に優遇される存在。

力を振るえる者として――過ぎた力ゆえに厳しい規制もあるが――民間人の憧れでもある。

他人より優れた力を持ちたい。

誰もが抱く夢、正常な思考を持つ人間が奏でる幻想。

その魔法を扱える者を――男は何の苦も無く殺した。

恐るべき敵。

絶望的な力の差。

戦う者としての器の差が、この戦いを隔てた――


(・・・・・・・・・・・・)


 押し寄せる冷たい絶望に、シフォンは心も身体も震わせる。

顔中痣だらけ、身体は雷でボロボロ。

勝気だった心は、恐怖で破壊された。

倒れた魔法使に目もくれず、男はナイフの血を拭って背後を振り返る。

非力な少年。

黒衣の死神。

目が、合う――


(・・・・・・あ、ァ・・・・・・)


   死に絶えた男達。

先程まで対決していた敵だが、たった数分でこの世から消えてしまった。

人生を顧みる機会も与えられないままに。

名前も知らない人間が三人、殺された。

死神がこちらへ向かってくる――


(ぅ・・・・・・)


 勝てる筈が無い。

逃げたくても、逃げられない。

傷つき、ボロボロになった身体はピクリとも動かなかった。

身体を痙攣させて、心を震撼させて、シフォンは薄く目を開けたまま。

男はゆっくりと近づいて来て・・・


 ・・・そのまま歩み去る。


倒れた少年なんて見向きもしない。

一瞥もしないまま横を通り過ぎ、廃墟の中へ入っていく。


(・・・・・・)


 嘆息、安堵、幸運・・・・・・助かった、シフォンは正直にそう思う。

黒衣の男の目的は知らない、知った事ではない。

敵はいなくなったのだから。

何故見逃してくれたのかもどうでもいい。

歯向かいそうな者だけ殺しているのかもしれない。

男三人に歯が立たず、転がされて死にかけている子供一人なんて敵とも見なさなかった。

――理由なんて、どうでもいい。

命さえ助かったのなら、もうそれでいい。

もう沢山だ、こんな事。

シフォンは極度の緊張から解放されて、そのまま意識を手放して――


「――女は中か」


 去り際の男の声を耳にする。


――トクンッ


『シフォン様と……また、あの公園で御話したいです』


――トクンッ


『今度はニーファとして、貴方と一緒に……』


 半日だけの友達。

出逢ったばかりの男と女。

絆はとても細くて、互いに顔を合わせただけ。

お姫様と少年。

許されない間柄。

相容れない立場。

彼女を想うには何も知らず、彼女に想われるにはあまりにも未熟な自分。

でも――ニーファは、僕を信じてくれた・・・・・・

あんな他愛無い、上辺だけの約束をしっかりと結んでくれた。

こんな頼りない自分を、頼りにしてくれた。


――それすらも、裏切るのか?


「ぅ・・ぁぁあああああああああああああああああああああっ!!!」


 全身の悲鳴を無視する。

激痛も心で弾き飛ばして、シフォンは立ち上がった。

男に振り向く隙も与えない。

絶叫を耳にして瞬時に振り向きかけた男の腰に、シフォンは思いっきり体当たりする。

廃墟の中にニーファはいない。

気付かれたら、男はすぐさま後を追うだろう。

それだけは、させない。


「――むぅっ!?」


 さすがの男も予想外だったのか、腰をふらつかせる。

成長期半ばの少年の身体とはいえ、全身全力でぶつかった。

なのに、男の強靭な足腰は倒れる事を拒否する。

そのまま組み付いたシフォンを、男は長い足で蹴飛ばした。

回避する余裕も無く、シフォンは背中を強打して倒れる。


カランッ


 乾いた音。

地面に寝転がったシフォンの方が、男より一瞬だけ早く気付く。


――コロコロと転がる黒い小瓶。


男の表情が初めて――変わる。

何がどうであるかはこの際無視する。

シフォンは手を伸ばして小瓶を拾って、瞬時に距離を取った。


「・・・・・・ハァ、ハァ、ハァ・・・・・・」

「――――く」


 ナイフを手にする男。

その厳しい眼差しは、明らかにシフォンの持つ小瓶に向けられていた。

シフォンは痛々しい顔を歪める。


「・・・・・・よっぽど大切みたいだな、これ・・・」


 男は何も答えない。

ただ黙って、冷徹な表情をこちらへ向けてくるだけ。

殺して奪う気だろう。

それが何よりの、答えだった。

このちっぽけな小瓶が自分の命より大切だというのだ、目の前の男は。


(・・・はは・・・)


 笑い出したくなる。

こんなにも価値が無いのか、自分は。

何も出来ず、何も許されないまま、命を奪われて終わる。

死ぬ。

助からない――目の前に死神がいるのだから。

力も無い。

この世界は、非力な存在に慈悲など与えてはくれない。

目の前に転がる死体と同じ。

誰も、助けてなんてくれない。

実の父にさえ――愛情をもらえなかったのだから。


でも、あの娘は違う。


愛される資格をもっている。

一目見て、可愛いと思った。

綺麗な心をもっていた。

こんな理不尽な現実に、居るべき人間じゃない。

シフォンは決意する。

自分は助からない。

逃げられない。

ならば少しでも、多くの時間を稼ぐ為に。

そして何より、目の前の無慈悲な現実に――せめてもの仕返しをしよう。

唯一の切り札はこの小瓶。

取引を申し出るのは無意味。

相手からすれば、殺して奪えばそれで済む。

持って逃げるのは論外。

こんなガタガタな身体では、追いつかれて殺される。


なら――これしかない。


シフォンは口を大きく開けて、


「――んぐっ!」
 

 小瓶をそのまま飲んだ・・・

丸呑み出来るサイズだったからこそ取り得る手段。

喉の詰まりなど、決死の人間は気にもしない。

そのまま食道を伝って、小瓶は胃の中に流れていくのを感じた。

咽るシフォンを目の当たりにして、


「お前――お前はっ」


 男は初めて、感情の吐露を見せた。

驚愕とも、戦慄ともつかない表情。

理解し難いといった顔をしている。

可笑しなものだ。

命を奪うより奇異な行動なんて、この世にある訳が無いというのに。

シフォンはふらついた足を立て直す。


「そんなに欲しかったら、殺せよ。
僕の身体を解体すれば、取り出せると思うよ」

「・・・・・・」


 シフォンは心のどこかで感じていた。

自分の取った手段はまぎれもない狂気。

絶望の中で希望を手に入れるのではなく、自ら進んで闇の中に踏み入れるやり方。

常識を逸脱している。

でも――ニーファは逃げられる。

殺されても、相手はその死体を解体しなければならない。

瓶の価値は分からないが、男にとって大切であるのは態度で分かる。

死神を前に、少年は死体の傍のナイフを拾った。

戦力も無い状態だが、戦う意思だけは何とか取り戻せた。

疲労に加えて、魔法のダメージも全く癒えていない。

出来るのは、ささやかな抵抗のみ。

そう――抵抗だけは出来る。

とにかく、時間だけは稼ぐ。

少年は傷だらけの手の平でしっかりとナイフを握った。


「…なるほど」

「え?」

「女は既に逃がしていたのか」

(な――)


 シフォンは気付いていない。

必死で、時間を稼ごうとしている。

その態度が何より雄弁に事実を語っている事に。

混濁した思考の中で、シフォンはもうニーファの安全しか頭になかった。 

倫理的な考えなんて出来ていない。

気絶してもおかしくない心身を抱えて、シフォンは無闇に抵抗するだけだった。

逆にそんな理解不能な行動こそが、男を足止めさせていた。


「それほど、大切か」

「…」

「自分の命を危険に晒してまで、助けたいのか。
自己満足にでも、浸りたいか」


 ――自分だけの、満足。

シフォンは冷たく凍っていた胸の内が張り裂けるのを感じた。


「……お前らには分かりはしない」


 シフォンは吐き捨てる。


「…自分の無力に泣かされて、何にも出来なくて……
逃げるしかない人間の! 怯えるしか出来ない人の気持ちなんて!」


 嘲る父。

泣いている妹。

やつれた女性。

領民達の、冷たい眼差し。

耳をふさいでいた自分。


「僕が、何をした! ニーコが、何をしたんだ!
ただ、平和に暮らしていただけじゃないか!!」

「……」


 男は何も語らない。

ただ、目を見開いてシフォンを見るだけだった。


「簡単に、何でも奪えるお前なんかには分からない。
返せよ!
ニーコの友達を返せ! ニーコの幸せを返せ!! 僕の平和を返せ!!」


 涙があふれる。

頭の中はぐちゃぐちゃ。

誰に、何を言っているのかもわからない。


「お前なんかに――無力な人間の気持ちなんて分かるもんか!!」


 酩酊する。

吐き出した気持ちが興奮を呼び、視界を明暗させてしまう。

涙と鼻水、鼻血と出血で無残なシフォンの顔を見つめて、男は小さく呟く。


「……分かるさ」

「…?」

「俺も――何も出来なかった」

「……あんた……」


 互いに見つめ合って、


『"命令コマンド"』


 両者は瞬時に振り返る。

喉を裂かれた男。

ブクブクと血泡を吐きながら――ニタリと笑った。


『"火炎の渦バースト・ストリーム"』


 狂気に彩られた炎が、辺り一面に吹き荒れた。

 

























 




to be continues・・・・・・







小説を読んでいただいてありがとうございました。
感想やご意見などを頂けるととても嬉しいです。
メールアドレスをお書き下されば、必ずお返事したいと思います。

お名前をお願いします  
e-mail
HomePage
総合評価
A(とてもよかった)
B(よかった)
C(ふつう)
D(あまりよくなかった)
E(よくなかった)
F(わからない)
よろしければ感想をお願いします
その他、メッセージがあればぜひ!
     


[戻る]