第五話 「忌子」 |
骸病。 戦乱に満ちた破滅の時代より、永きに渡って受け継がれた悪意。 人の世に齎された忌むべき病気である。 数ある生命が蔓延るこの世界が存在する限り、病気がこの世から消える事は無いだろう。 生命には始まりと終わりがあり、成長と衰退がある。 人間のみならず、肉体を有している存在に病気は永遠の難敵である。 人民に近しい病気を一つ挙げれば、風邪だろう。 その風邪のように、ウイルス・細菌などの感染によって起こるもの。 食生活や日々の習慣が原因で起こるもの。 外的要因と内的要因が数あり、身体を蝕んでいく。 病気になる原因は体内に蓄積される不純物であり、一種の毒素とも言える。 ――骸病とは、人の"終焉"。 この病魔に冒された人間は――魔物へと変貌する。 紅の毒素――いや、魔素の呼び名がふさわしいだろう。 魔の属性を孕んだ毒素が身体を蝕み、全身に広がっていく。 生み出された毒素は高熱を生み、激痛と密接にサイクルする。 男も女、赤子から老人に至るまで、幅広い年代層に病魔は効果を発揮する。 皮膚は変色し、醜い紅の斑点を刻む。 病状が進むにつれて、肉体が変質する。 変容は人によって様々だが、まず間違いなく人間ではいられない。 牙が生えた者、角が生み出された者、羽が生えた者、尻尾が伸びた者―― 人としての面影が残されている者は、まだ軽い。 重病になれば、見るも無残な醜態にまで変化。 人としての理性は消えて――文字通り、人間ではなくなる。 この病気の厄介な点は二つ。 一つは感染経路が不明な点。 接触感染や空気感染――あらゆる可能性が存在し、予防が不可能。 感染力も不明で、昔ある国では一人発症した村を丸ごと封鎖した事例もある。 もう一つに、完全なモンスターと化して人を襲う点。 発症した全員が全員ではないが、かつて魔物となって人に襲い掛かったケースが存在する。 結果討伐――魔物として歴史から抹消された。 人に害意を齎し、人に魔物の烙印を押す。 人としての生を奪い、生きた"骸"とする残酷な病魔。 それが・・・骸病である。 (・・・何て、こと・・・) 骸病は風邪のような一般的な病気ではないにしろ、その病名を知らぬ人間は存在しない。 病院へ連れて行けば、隔離は当たり前。 その辺の民間の病院では、診察を拒否されても不思議ではない。 人の手には負えない病気であり、発病すればあらゆる社会的差別を逃れられない。 完治の見込みは無く、むしろ近づけば自分まで発病する危険がある。 アイナは整った眉を険しくする。 (兄さんが居るこの国で、どうして感染者が・・・・・・) 人々の恐怖や冷たい視線が遠めでも伝わってくる。 追い立てられない分静かだが、嫌悪や拒絶の気配が痛々しく感じられた。 傍観するアイナとて、怖い。 奇妙な赤いローブを被っているが、覗かせる手足や頬は醜い斑点が生み出されている。 何より――この濃厚な魔素。 魔力感知の出来ない人間でも、これほどの禍々しさならば気配や空気で感じ取れるだろう。 嫌悪の目で注目する中で―― 「さ・・・さっさと、何処か行ってくれ! 迷惑なんだ!」 「御願いします。どうしても――今日中に必要です」 ――少女は一人、超然と佇んでいた。 周囲の拒絶を意に関する事も無く、静かな口調で目の前の男に話し掛けている。 アイナは顔を上げる。 病魔の少女に目を奪われて気付かなかったが、現場は一つのお店の前だった。 看板名に『サーモン医療』と書かれている所を見ると、薬屋さんのようだ。 少女はそっと、ローブの中から重々しい袋を取り出した。 「御支払いはきちんといたします。 包帯と傷薬、消毒液と熱冷ましの薬を売って下さい」 差し出された袋を掴む少女の手に、びっしりと斑点が広がっている。 赤褐色に腫れており、身の毛がよだつ気持ち悪さだった。 向かい合わせに立っている男は店員だろう。 ひっと短い悲鳴を上げて、怒声を上げる。 「か――帰れ! 帰ってくれ!」 「御願いします」 「売る物は何もねえ! 帰れ!」 「――御願いします。どうしても、必要なんです」 少女は、小さな頭を垂れる。 丁寧なその仕草には誠実さが出ており、心からの願いである事が知れる。 思わず頷いてしまいそうな、礼儀正しさだった。 ――普通の、少女であるならば。 バシッ、チャリンッ・・・ 「――っ」 「気持ち悪いんだよ! 二度と、うちに近付くな!!」 払い除けられた袋が地面に落ち、無残に銅貨が毀れる。 周囲の視線を気にしながら、店長は荒々しく店に戻り、扉を閉めた。 閉めだされた少女に――周囲はあくまでも他人でいる。 「見たかよ、あの手・・・」 「うげ・・・・・・」 「移ったらどうすんだよ、なあ」 「離れた方がいいんじゃないか」 「怖いわね・・・あの娘、近所に住んでいるんでしょ」 「追い出したほうがいいって」 「国に訴えるべき――」 ざわつく衆目。 同情はおろか、哀れみの目ですら見られない。 暗黒の病気に冒された少女に、人間としての尊厳など無用だった。 孤独な世界に立たされた哀れな女の子は・・・その場に身を伏せた―― 「・・・」 一枚、一枚、丁寧に。 ローブに隠された表情は何も見えず、銅貨を拾う。 手付きに震えは無く、拒まれた状況に悲嘆の念も無い。 ただ黙って、銅貨を拾い続ける・・・・・・ その光景に―― 「――失礼します」 「・・・?」 (ミフレ、さん・・・) テクテクと近付き、傍らに座り込んで、銅貨を拾い上げる。 横から見つめる少女にニコっと笑い掛けて、ミフレはせっせと拾い上げた。 制服に泥がつくなど気にもしていない。 膝をついて丁寧に銅貨を拾って、少女に全て手渡した。 少女は何も言わないまま受け取り、黙って立ち上がる。 「大丈夫ですかぁ? お怪我はありませんか?」 袋を乱暴に払われただけなのだが、ミフレの目は真剣そのものだった。 少女はしばし袋を持ったままじっとしていたが、やがて小さく首を振る。 反応があった事が嬉しかったのか、ミフレは明るい顔をした。 「良かったですぅ。 えとえと・・・ごめんなさい、今の一部始終見てましたぁ。 お薬が必要なんですよね?」 「・・・はい、そうです。 けど・・・」 「酷いですよねー、あんな言い方! アタシも見ていて、涙が出そうになりましたぁー。 任せて下さい! 市民のお役に立つのが、アタシの仕事です! お薬屋さーん! お薬屋さーん! 御願いですから、薬を売って上げて下さい!」 扉を必死で叩くミフレ。 懸命なその様子に、当事者の少女も口を出せずにいる。 アイナは目を丸くして見ていた。 確かに店長の反応は差別的だが、一般人としての反応ではある。 彼だけが、特別ではない。 骸病患者に向けられる対応は、あれが普通といっていい。 近付くだけで病気が移るとまで言われていて、感染すれば治療出来ない。 暴動が起きないだけ、むしろ周りも良心的とさえ言える。 なのに、ミフレは普通である。 いや――アイナは考え直した。 彼女ほどの正義感の持ち主なら、先程のやり取りで口出ししていた筈だ。 静観出来る性格ではない。 口出し出来なかったのは――彼女もまた、怖いからだ。 今必死なのは――怖がっている自分を、恥じているからだ。 躊躇した自分。 一瞬でも、周りに共感してしまった。 病気を――少女を、恐れてしまった。 そんな自分の醜さを、懸命に追い払おうとしているのだ。 少女に味方する事によって。 「・・・・・・兄さん」 理想と現実。 偽善と優しさ。 その違いは、何処にあるのだろう―― 冷たさの中の小さな懸命さに、アイナは兄の面影を重ねた。 to be continued・・・・・・ |
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