第六話 「清廉」 | ||
古来戦争で一度死に絶えた世界に、大いなる繁栄をもたらしたのは人類。 天使や悪魔、竜族や精霊達に負けない存在の逞しさをこの世に示す。 一方で、貧困と差別もまた人の世から明確に生み出された。 差別から生まれる貧困、貧困より生まれる差別。 差別が暴力を生み、暴力が貧困を生む。 そして貧困から抜け出ようとして、差別が生まれたりもする。 貧困が新たな差別を生むこともある。 人種・職業・性差・年齢・出身地――数えるだけで切りが無い。 普遍的に見られる差別を拒絶しながらも、諦観と自己責任の名の元に精神的・肉体的に弱い立場を虐げる。 骸病患者は――その際たる犠牲者でもあった。 「どうして売って下さらないんですかぁ!?」 「そ、そうは言われても――」 「お金持っていますぅ! あ、もしかして在庫が無いんですかぁ? でしたら、ごめんなさいです」 「いや、あるにはあるんだけど――」 「納得出来ませんっっっ!!」 「か、勘弁して下さいよー」 店頭で門前払いと購買を繰り広げる二人。 困り顔の店長を相手に、身の丈が一回り小さい女の子が一歩も引かずに詰め寄っている。 無碍に追い払えないのは、相手が国家に雇われている役人だからだろう。 何とか理由をつけて断ろうとしているが、若き役人の熱意は振り払えない。 (……意欲だけは認めますが――) アイナもまた困り果てていた。 ミフレが懸命になる理由は分かる。 骸病に感染しているとは言え、あの奇妙なローブを纏った者に罪そのものはない。 法に触れる、罪は。 「どうして売って下さらないんですかぁ! こんなに困っているんです、少しくらい売って下さってもいいじゃないですかぁ!」 心地良いほどの正論。 弱者を守る正義の心を持つ、純粋な少女の痛切な願い立て。 国を守る立場とは言え、これほどまっすぐな正義感を持つ役人はそういないだろう。 だが、それでも――彼女は第三者でしかない。 「そうは言いますけどね――!」 いい加減黙っていられなくなかったのか、主人は顔を上げる。 その瞳に浮かぶ、やりきれない怒りをぶつけるように。 「こっちだって、商売でやっているんです! こいつは人間じゃないんですよ!」 「なっ――!?」 絶句するミフレ。 畳み掛けるように、店長は怒鳴り散らした。 「何時、得体の知れない魔物になるか分からない――原因不明の病気なんですよ!? そんな奴に薬を売る私の立場はどうなるんですか! 万が一……万が一、うちの薬を飲んだからと言われたら……この店はどうなるんです!? あんたらが、責任とってくれるんですか!」 「で、ですが……」 「冗談じゃない! どうしてうちだけが責められるんですか!! 奇麗事で、商売が成り立つもんか。 皆、こいつを嫌がってるんです! 迷惑だって――そう言っているんです!!」 「っ……ぅ……」 店長も――分かってはいる。 これは差別だと、迫害だと。 骸病に感染していても、相手は人間なのは分かりきっている。 だが、周りはどう思っている? 世間はどう思っている? 一般的な善意を向けられる相手だと、心から本当にそう思えるか? 心を持っている、確かにそうだ。 だが、この醜悪な見た目は? 人間から魔物へ変貌したこれまでの歴史はどう物語っている? 今は何の害も無くても、未来は分からない。 逃れられない宿命を抱えているのだ。 今こうしていても、いつ魔物に変貌するか分からない。 怖いのだ、嫌悪しているのだ。 同情や憐憫では埋められない、恐怖の落差を肌で感じている。 対面しているだけで、病気が感染しないかと震えている。 お金や薬の受け渡しをするだけで不安なのだ。 そう――自分も感染したらと、恐れを抱いているのだ―― 「――気持ち悪いよな、やっぱり」 店長に同意の目を向けていた群衆。 誰かが発した呟きが引き金となり、ざわめきが広がっていく。 「近所にあんなのがのがいられたら、不安だしよ――」 「お役人さんが許していいのかしら」 「悪い人じゃないかもしれなくても、ちょっと……ね」 「迷惑だって、はっきり言ってやるべきじゃないのかな」 ミフレの主張に心情的に賛成の立場を取りたくても、一方で同じ恐怖を抱いている。 自分の生活を脅かす存在に、味方は決して出来ない。 誰かが間違っていて、誰かが正しいのではない。 人が人として生き、人としての日常を望む上で訪れる軋轢でしかない。 ミフレもまた、同じだった。 店長の言い分は絶対に納得出来ず、骸病患者を一方的に悪役にしている。 哀れな患者を擁護する言葉は幾らでも出てくる。 しかし、その言葉に――重みは無い。 薬屋として経営をする店長にも生活はある。 人民の平和を守るというなら、店長だってその一員だ。 片方を一方的に弾劾すると言うのなら、ミフレも店長と何も変わらない。 その理屈は分かる。 「でも……でも――!」 だからといって、このまま引き下がれない。 この国に住む人々の生活を守るのが義務ならば、この女の子も守られる立場だ。 一方的に迫害される道理を、見過ごせない。 「この子は困っているんです! 理由は分かりませんけど、薬を必要としているんです! きっと、きっと――っ」 「売れない物は売れないんです! 出て行って下さい!!」 有無を言わさない店長の声。 ミフレの糾弾に揺れている一人の人間の表情が其処にあった。 正しさだけで、物事は決してはかれない。 困っている人間に手を差し伸べる情は、店長にだってある。 だが――魔物に情けはかけられない。 太古の昔より、人類の敵として存在している限り。 「そうだ、そうだ!」 「こっちだって迷惑してるんだ!」 「一方的に化け物の味方をするのかよ!」 それから先は一方的だった。 店長の援護という理由を盾に、自らの本音をぶつける集団。 たった一人を相手に、周りの群集全員が罵声を上げる。 中には同情や憐憫の目を向ける者もいるが、集団にはとても勝てない。 それは国を守る役割を担っている役人でも同じ。 ミフレの正義は、人々の恐怖と怒りには全く無力だった。 (……ミフレさん) 歯を食いしばって、弾圧に耐えている小さな役人。 まだ十代の女の子が受け止めるには、あまりにも重い現実が目の前にあった。 自業自得とは言わない。 少女が唱える正義には、心から賛同できる。 病気に苦しむ一人の女の子に向ける優しさは、決して間違いではない。 同時に、罵声を上げる群集の気持ちも分からないでもない。 彼らはここに住み、生活を営んでいる。 このような争い事には無縁の人達ばかりなのだろう。 平和をただ望んでいるだけ。 家族や友人を愛しているだけ。 ゆえに――その日常を脅かす相手を容認出来ない。 彼らに理解と寛容を求めるのは、少しばかり酷であろう。 罵倒の渦の中心に居る少女に、アイナは――目を瞑る。 関わり合うべきではない。 兄を探しに此処へ来たのだ、正義を唱えにではない。 ミフレを案じる気持ちはあるが、衆目の的になるのは好ましくない。 アイナは――背を向ける。 このままそっと歩み去っても不都合は何もない。 一刻も早く大切な人との再会を果たし、共に歩んでいく。 自分を置き去りにしたあの人に―― (大切な人に――捨てられる……) ――このまま去ってしまったら、私も…… 「――私は、かまいません」 ――冷たき声。 ぶつかり合う善意に水を差す、冷ややかな女の声が背を向けるアイナの心に突き刺さる。 「お気持ちだけ、受け取ります。私の為に、ありがとうございました。 ご迷惑をお掛け致しました」 ローブを翻して、丁寧に頭を下げる。 感情の篭らぬ仕草は不器用なほどに礼儀に満ちており、人々の高まる感情を抑えた。 ミフレは慌てて駆け寄る。 「でも、お薬が必要じゃ――」 「お店の方にご迷惑はかけられません。失礼します」 もう一度頭を下げて、そのままその場を立ち去る。 ゆっくりと一歩ずつ往来を歩き、群集をものともせずに。 少女の歩く先を人が避け、分かれていく。 奇異の眼差しに満ちた道を、少女は顔を俯いたまま静かに歩行する。 手先から覗く斑点。 肌を侵食する醜い痣は圧倒的で、ほぼ全身を覆っていた。 目を背けたくなる痛々しさ。 同情を上回る気持ち悪さは、次第に人々に伝染していく。 立ち尽くす人々に目を向けず、少女はそのまま―― ――立ち尽くすアイナを置き去りに、目の前を歩いていった。 to be continued…………
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