第七話 「暗黙」 |
赤いローブに身を包み、素顔を晒さない少女。 頭まで姿を覆い隠したその風貌を見る事は出来ないが、光の瞬きに時折映し出される肌は醜悪な痣で痛々しい。 少女は嫣然とした態度で歩んでいく。 群集は先程のような罵詈雑言を浴びせる事は無いが、嫌悪や拒絶に満ちた眼差しで埋まっている。 それは偶然か、ある種の必然か。 少女は、関与を拒否していたもう一人の少女の前へ歩み寄る。 遠巻きに見つめていた少女、アイナ。 ローブの女の子にとって、アイナは進路上に居る障害物でしかない。 群集が道を開ける中で、少女はただ真っ直ぐに歩んで来た。 (――) 何か声をかけようとして――頭を振った。 娘より女、人間より玩具として父に育てられた娘でも、一般的な常識は持っている。 不幸な環境が必ずしも健やかな精神を蝕むとは限らない。 優しい兄の妹だった期間は、アイナに喜怒哀楽の精神を育んだ。 その上で――この病の少女を可哀想だとは思う。 骸病に犯された人間が完治する事は無い。 社会的立場や人間的尊厳、その一切が剥奪されたのだ。 人が住む世界に居る限り、何処へ行っても迫害や差別は免れない。 このまま人間社会で生きて行っても、幸福が訪れる事は無いだろう。 病気の進行は人それぞれだが、ゴールはほぼ同じ。 魔物として完全に変貌するか、変異に耐え切れず醜悪な出来損ないとして腐り果てるか。 同じ女としても同情は禁じえなかった。 対立していた主張も、ミフレ寄りに共感はしている。 だが――だからといって、どうなるものではない。 この少女に何もしてやれず、何かを変えられる訳でもない。 少女の身に舞い降りた不幸を哀れむ気持ちはあれど、少女に深入りするには気持ちが足りなかった。 ミフレのような正義感も、群集のような差別感もない。 無味無臭な第三者。 在りのままの世界を肯定する事も、否定する事もしない。 どのような存在にも成り得ない、半端な立ち位置。 アイナは小さく息を吐いた。 (……兄さんなら、どうするでしょう) ぼんやりと考えて、ふと視線に気付く。 自然にアイナの目が下がり、何時の間にか居たローブの女の子と目が絡み合って―― (――っ!?) 暖かさも、冷たさも。 優しさも、厳しさも。 孤独も、充実も。 何も無い、ただの瞳。 「……」 少女はそのまま歩み去る。 アイナはその時初めて――自分が道を譲っていた事に気付いた。 立ち尽くすアイナに置き去りに、目の前を歩いていった。 少女の目は視覚器官であり、光を感じる細胞。 それ以上の意味は何一つ無い。 人形のようなガラスの瞳。 獣でもあのような光は浮かべないだろう。 ゾッと肌が泡立ち、アイナは畏怖に身を震わせる。 どのような人生を送れば、あんな目が出来るのだろう。 禍々しい魔力と、痛々しい痣の肌。 人間と魔物の境を生きる少女の生に、同情や憐憫の入り込む余地は無かった。 人としての範疇を越える存在に、定義は存在しない。 あの少女はまさに―― ――怪物だった。 少女は閑静な空気に溶け込んで、消えていく。 薄気味悪さと、凄絶な印象だけを他者に与えて―― 「……さっさと」 群衆の中の誰かが放った一言。 自然と漏れたのか、声に熱が無い。 たどたどしい言葉遣いで……呪いを吐いた。 「――居なくなっちまえば――いいのに……」 恐ろしいほど、その場に居た全ての人間に涼やかに届く。 少女の存在そのものを否定する声。 ――反論しない。 アイナも。 あの少女に抱いていた同情はもう無い。 無機質な少女の瞳が恐怖を誘い、消えた事に安堵している自分が居る。 所詮、一抹の儚い憐憫。 安っぽい感情で踏み込んではいけなかったのだ―― 「ど……どうしてそんな酷いこと言うんですかぁ!」 アイナの自嘲じみた心の声に反発するかのように、猛然とした抗議が上げられる。 はっと顔を向けると、薬屋の前でミフレが怒りの顔で立ち上がっていた。 「あの娘だって、一人の人間です! 皆さんと同じなんです! この国で――この都で生きる権利がある筈です!」 一連の事態に言葉を失っていたが、ようやく再起したのだろう。 声の主より、むしろその場に居る全員に聞こえるように――ミフレは声を張り上げる。 威勢の良さに、心地良さすら感じられる。 綺麗事だと断じるには、真っ直ぐすぎる正義。 アイナは呆然とした佇まいで、ミフレに目をやった。 「人間? 人間だって? ――はっ。 だったら、俺達がビョーキに感染したらどうしてくれるんだ? あんた、責任とってくれるのかよ!」 群衆の一人が怒声を上げる。 もしこの者が一人なら、あの少女が骸病でなければ、仮にも役人にこんな暴言は吐かなかっただろう。 生活を脅かす魔物。 魔物を肯定する役人。 この者にとってみれば、ミフレの主張する正義こそが悪だった。 そして哀しいかな――完全に、間違いとも言えない主張でもあった。 骸病はその感染経路すら、明らかにされていない。 万が一を考えれば…… 「――っ、で、でも、可哀想じゃないですか! あの娘だって、病気になりたくてなったんじゃないんですよ!?」 迫害する国もあれば、容認する国もある。 ただ容認国の認知の仕方はまだ不透明であり、法よりむしろ国側の人間の判断に寄る面もある。 シェザール国はまだ若い国であり、窮めれば不適当ですらあった。 「この国は、魔物を認めるのか!?」 「俺たちの生活を脅かされてもいいっていうのかよ!」 「冗談じゃないわ!」 「てめえら、何様のつもりだ!」 当事者本人が居なくなり、群衆の非難は別の方向へ向かう。 流石に相手が役人なので手荒な行為には及ばないが、それも時間の問題だろう。 相手は役人でも、年若い少女。 隙を見せれば、たちどころに暴走の種が芽吹く。 前々から我慢していた事もあるのだろう。 骸病患者を放置する国の姿勢に、いよいよ我慢できなくなったに違いない。 アイナは厳しい目を周囲に向ける。 (……仕方、ありませんわね……) 彼らの抗議を反対する気持ちは無い。 自分もまた同じだと、先程抱いた感情で気付かされた。 あの少女が自分と同じ世界に居ると考えただけで、怖くなる。 そういった意味で、群集の不安にはむしろ賛成できる。 結局、第三者。 ここで関わり合いになれば、非難は自分へ向かう危険性もある。 群集はミフレを取り囲み、暴言を口にしている。 これ以上はもう―― 「な――何だよ、あんた。邪魔するのか!?」 ――行動が、思考を上回った。 驚きを露にする群集を見て、逆に驚かされた。 ミフレを庇うように前に立っている、自分。 侮蔑の微笑みすら浮かべて。 自分はさぞ相手を怒らせているのだろう、と冷めた感情でそう思う。 何故、出て来てしまったのだろう? 兄以外、何の興味も無い自分が。 「アイナ、さん……」 ぎゅっとスカートを握り締める手。 その指先が震えているのを見て、アイナの心に仄かな義憤が芽生える。 「いい大人が大勢で見苦しく喚かないでいただけませんか? 耳障りですわ」 思わず、口に出る。 群集に並々ならぬ怒りの渦が―― 「……何の騒ぎなのですか、これは?」 威厳と自信に満ちた美声に、かき消された。 to be continued………… |
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