第九話 「糸口」 |
シェザール国の麗しき戦姫により、人民は平静を取り戻した。 事件の発端となった薬屋の店長は頭を下げる。 相手は一役人ではない、諸国に名高い姫君なのだ。 下級役人のミフレに噛み付いていた態度が嘘のように、すっかり恐縮している。 カリナは礼節ある振る舞いで応じ、微笑を浮かべて不問にした。 威厳に満ちた第一皇女に群集もバツの悪そうな顔をして一人、また一人と、この場を去っていく。 アイナは彼らの様子を冷ややかな目で一瞥し、背後に向き直る。 「……いい加減離して下さいませんか?」 「あっ、ご、ごめんなさいですぅ! ……うー、細い腰ですよね。ぎゅって握れちゃいます。羨ましいなぁー」 「それだけ元気でしたら、もう大丈夫ですね」 アイナは深く嘆息した。 ――何故身を持って庇ったのか、分からない。 鬼畜の如き父の下を離れ、優しい兄の下へ向かう決意を固めた。 誰にも頼らず、兄と二人で生きていこうと、この都へやって来た。 他人を気遣う余裕などありはしない。 ミフレとの交流関係は無く、今日出会ったばかりの他人なのだ。 確かにあの状況で同情の一つはしたが、それ以上はない。 有り大抵に言えば、その同情も一抹の感情でしかない。 ミフレを特別に思ったからこそではなく、人間として生きる上で大小なりとも誰でも抱く気持ち。 決して、自らを危険に晒してまで持ち続ける思いではない。 狂った状況が終わり、静けさを取り戻した今の空気の中では、当然のようにその同情も消えている。 今度は助けないだろう――断言出来る。 兄と自分とを結ぶ糸。 一本だけ結ばれていれば、充分。 二本・三本など必要は無い。 憧れの目で自分の腰を見つめるミフレを尻目に、アイナはスカートの埃を払った。 「アイナさん――先程は、ありがとうございましたぁ! それと、ごめんなさいですぅ。 本当なら、アタシがアイナさんを守らないといけない立場なのにぃ…… でもさっきのアイナさん、少しカッコ良かっ――あ、ごめんなさいぃ、女の人にそんな言葉って変ですね。 でもでも本当に、なんと言うか――」 「貴方の仰りたい事は分かりました。分かりましたから、もういいです」 赤くなったり青くなったり、本当に忙しい娘である。 何もかも真っ直ぐなのだろう。 ここまで自分に正直に、明るい日差しの中で生きている子は珍しい。 頬が少し緩んでしまうのは、その明るさに触発されてなのか―― アイナはミフレを押し留め、現状を再確認する。 ――思わぬ時間を取ってしまった。 思い掛けない事件が発生したが、何一つ兄と結びつく手掛かりは無かった。 兄の行方は今も不明で、この都の何処かに居るとしか分かっていない。 一刻も早く、見つける必要がある。 時間がかかればかかるほど、状況は刻一刻と変化する。 職業安定所で職探しをしていた兄。 話を聞けば、明日の生活にも困る有様だったようだ。 貧窮生活はいつまでも続けられない。 この都にいつまでも在住するかどうか分からない。 職が見つからなければ、別の街――あるいは国境を越えて別の国に行くかもしれない。 都一つでも探し回るのが大変なのに、国単位になれば最悪のレベルに発展する。 名声も階級も何一つ無い、浮浪者。 早期に見つかる可能性は皆無となってしまう。 それに気にかかる不安要素も―― 「――貴方も、大丈夫でしたか」 「……っ、ええ」 話を終えたのか、カリナが真っ直ぐに歩み寄る。 背筋を伸ばし、足音も無い静かな姿勢。 一つ一つの仕草に、清廉さが感じられる。 考え事を一旦止めて、アイナは正面から向き合う。 薬屋は、強張った笑みを浮かべていたまま。 先程の態度は反省していないが、姫を前に大きな態度には出れないのだろう。 隣にミフレを伴って、カリナは涼やかな美声で話し掛けてきた。 「話を聞けば、貴方が彼女を助けてくださったとか。 ミフレが御世話になりました、心からの感謝を」 「――光栄ですわ、カリナ姫様」 彼女に何の非も無い。 むしろミフレを庇った事で危うくなった状態を、助けてくれたのだ。 感謝するのは、むしろ自分の方。 アイナとて、それくらいの道理は分かっている。 でも――理性は平静でも、感情が納得しない。 性格も容姿も完璧なこの姫君に、言い様の無い不快感を感じる。 何かが、神経に障る。 口に出るのも、理由無き皮肉になってしまった。 気付いているのかいないのか、カリナの態度に変化はない。 「事情はお聞きしました。 ――我が国内で、あの奇病の感染者が存在している。見過ごせません」 あの病魔に呪われた少女。 まさに、アイナが懸念している不安要素だ。 人間にとって、最悪の呪いとも言うべき躯病の患者。 記録によると、発症した患者の住む町や村で感染した人間の例は沢山ある。 感染経路が不明であり、根本的な予防策が無い。 発病すれば人間から魔物へ変貌し、人類の敵となる。 躯病患者の扱いは往々にして差異はあるが、どの国でも決して無視出来ない非常事態だ。 国民を守る為に、非公式にこの世から抹殺した前例もあるのだ。 一国も早い対応が望まれる。 なのに、あの少女は何故放置されているのか―― 「……お知りにはならなかった、と? 仮にも一国を支える姫君が」 「ええ、御恥ずかしい限りです。 この恥は忘れず、早期解決に向けて対処致します」 叱責は逃れられない無礼な発言にも、カリナは怒る様子はない。 本当に恥だと思っているのか、表情も曇りがちだ。 しかし――アイナは、その静かな態度に妙な違和感を感じた。 知らなかった……? 人々の態度で断言は出来ないが、彼らは少女を知っていたようだった。 少なくとも、昨日今日で突然都へやって来たとは思えない。 カリナ姫が国民に人気があるのは、その美しき容貌や誉れ高き戦歴のみではない。 人民を心から愛し、その若さで民を守るべく、戦装束を身に纏う。 ただ観察するのではなく、民の平穏を守っているゆえだ。 そんな姫君が、あの病魔の少女を知らずに居た。 嘘をついているのなら、何故わざわざ恥晒しになるような発言をするのだろう? 王族たる者が知らなかった、では評判を落とすだけ。 無策より無知が、恥なのだ。 同じ違和感を抱いてなのか、ミフレも横から口をはさむ。 「あのあの――あの子、本当に可哀想な女の子なんですぅ。 お薬一つ売っていただけず、すっごく困ってたみたいでしたぁ」 役人は国民を守る義務はあるが、生活に直接的な介入は出来ない。 助けを差し伸べる手を持っていても、無理に相手の手は掴めない。 礼儀正しい態度でも、「結構です」と被害者から拒絶されれば無理強いは出来ない。 その事実を――自分の限界を悔やんでいるのだろう。 ミフレの言葉を利用する形で、アイナも発言する。 「放置すれば、感染者が増える危険性がありますわ。 悠長な事を仰っていては、被害者が増える一方だと思うのですが」 万が一。 そう、万が一……兄に感染すれば―― アイナはゾッとする。 醜い肌。 空ろな眼差し。 冷たい差別。 熱い怒り。 人間としてのあらゆる権利を剥奪され、文字通り人間社会のウイルスとなる。 生きる場所を失い、誰とも通えないまま孤独に死んでいく。 人間として死ぬか、魔物として終わるか。 未来を絶たれて、悲劇の真っ只中に追放される。 そう考えれば、この事件に関ったことは少しはよかったかもしれない。 あの少女の存在を兄に伝え、対処する。 いや、兄と再会して――早くこの都を去るべきかもしれない。 あの少女を気の毒に思う気持ちはあるが、結局のところ余分な感情だ。 救えない。 救えないなら、救おうとも思わない。 その絶望が自分や兄に向かわないように、回避するしかない。 アイナは心の中で自嘲する。 何も変わりはしない――ミフレを罵倒したあの人々と。 国に出さないだけ。 態度に表さないだけだ。 冷たい傍観者でしかない。 沈黙する傍観者と姫君。 両者の不穏な気配に気づいてかいないのか、ミフレは素っ頓狂な声をあげる。 「そうだ――姫様、姫様! <あの、今人探しの任務についているのですが、この人に見覚えありませんか? アイナさんのお兄さんなんですぅー」 余計な事を――!? アイナは目を見開いて黙らせようとするが、既に遅い。 差し出した似顔絵は無情にもお姫様の手に落ちる。 「な……なかなか個性的なお兄さんなんですね……」 凛々しい風貌を崩して、カリナは引き攣った笑みをこぼす。 アイナは怪訝な顔をして絵を覗き込み、顔色を変えた。 「――? ち、違いますわ!? こんな奇天烈な絵と、私の兄さんを一緒にしないで下さい!」 「ひ、酷いですよぉー。一生懸命描き直したのにぃー!」 事情聴取時、アイナの証言を元に作成した似顔絵。 破いたのだが、こっそり描き直したようだ。 誰がどう見ても妖怪にしか見えない人物像に、カリナが困惑するのも無理はない。 不細工と明言しないだけでも、人当りの良さが伺える。 つい触発されて自分が描いた似顔絵を差し出してしまい、アイナはしまったという顔をする。 兄は身元不明者。 素性を聞かれれば、答えに詰まってしまう。 他の人間ならともかく、一国の姫に偽証する愚かさくらいは知っている。 焦りを見せるアイナに、 「――城下を見回ってはいますが、見かけてはいません。 お力になれず、申し訳ありません」 「いえ、別にかまいませんから」 素早く奪い取って、兄の絵を胸に抱き寄せる。 余計な干渉をこれ以上されたくはない。 関わり合いにならない内に、この場から立ち去るのが吉。 話を終えようとしたその時、 「あれ――その絵の男、さっき見たような……?」 ――時が止まった。 瞬間的な速さで振り返って、アイナは証言者――薬屋の胸倉を掴んだ。 「何処に――何処に兄さんがいたのですか!?」 「く、苦し――ちょっと!? 公園だよ。都の中央にある大きな公園。 通りかかった時ちらっと見ただけだけど、変な格好した奴と一緒だったから覚えてるよ」 「……変な格好? 何ですの、それは」 「サングラスにマスクした怪しい奴だよ。 真っ赤なローブも着て――た、アガガガ!?」 「本当なのか――その話は!?」 豹変―― 周囲が驚きの目で見つめる中で、姫君は我を忘れて叫んだ。 to be continued………… |
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