第十一話 「噴煙」 |
皇主ザムザ・シェザーリッヒ、彼が統治するシェザール国に近年主だった事件は発生していない。 一代で国家の基盤を築き上げ、民に平和と繁栄をもたらした。 古き時代から新しき時代へ。 皇主ザムザと第一皇女カリナ、第二皇女ニンファの存在が国に明るい兆しを生み出していると言えよう。 そんな国家の平穏が、皮肉にも―― ――偉大なる王が住まう皇都アクアスにて、破られようとしていた。 灯りの途絶えた深夜の時刻―― 貧窮地域と揶揄される旧区画では、煌びやかな都には似つかわしくない闇が存在していた。 日々の生活に苦窮する人民が蔓延るこの区域に、暖かな家庭の光は皆無。 ――彼らにとって、光は眩し過ぎた。 皆明日も見えぬ生活から目を逸らし、暗闇に身を委ねて束の間の安息に包まれる。 そんな寂れた世界を今宵――暴虐な光が荒れ狂った。 荒れ狂う業火は暴力の影を生み出し、日陰の世界を明るく飲み込んでいく。 光は文字通り世界の隅々を照らし出し、轟音を辺りに轟かせる。 舞台の役者を惨劇に包んだ破壊の炎は、皮肉にも観客にまで飛び火する―― ――正義の役人ミフレ・ウオンクリーナと、放浪の少女アイナ=ノーブルレスト。 現場へ賭け付けた彼女達が見た光景は、想像を絶する地獄絵図だった。 「これは……ぐっ」 「だ、大丈夫ですか!?」 真っ青な顔でよろめくアイナを支え、ミフレは慌てて華奢な背中を摩る。 新米でも流石に訓練を受けた役人だけあって、少しは肝が据わっているようだ。 思考の端で動揺しないミフレに感嘆しつつも、顔を覆わずにはいられない。 視界を覆う爛れた血肉、死体が放つ異臭、口元にこみ上げる吐き気。 ミフレの制止を聞かず、音と光を頼りに現場へ向かった好奇心が仇となった。 「なっ……何なんですの、これは……」 ――現場に降り注ぐ大雨だけが救いの、殺人現場。 人の形をした炭が焼けているのを見ただけで、嫌悪感に顔を歪めずにはいられない。 貧民でも好んで立ち寄らない廃墟の前で、壮絶な死を遂げた死体が転がっている。 人体を容赦なく焼いた不審火が、異常なほど簡単に鎮火している。 今宵都を包む自然の恵みが、唯一の慰めとなっていた。 ハンカチで口元を覆うアイナの呟きに、ミフレは困り顔のまま首を振る。 「ま、まだ分かりませんけど……こんな、酷い……」 普通の殺人とは、桁が違う。 生死の判断は別にして、何人もの人間が焼死体と化しているのだ。 都の治安を脅かす事件である。 ミフレ一人で対処出来るレベルを超え過ぎていた。 彼女に出来るのは――訓練と教育で培った範囲。 そして、自身の中で育まれている正義感からの行動である。 「此処へ急行する前に本局へ連絡を入れたので、間もなく駆けつけると思います。 あたしは現場の確保と周囲の調査を行いますので、アイナさんは休んでいて下さい」 「休めと言われても……」 死体と死臭に満ちた光景を前に、静かに休める神経はない。 かといって、この場を勝手に離れるのは気が引けた。 ハンカチで半ば顔を隠していても表情が読めたのか、アイナは困ったように苦笑いする。 「ご、ごめんなさい、あたしったら……あ、あのあの!? 他の人間が来たら、あたしアイナさんを事務所まで送ります。 不安だと思いますけど、アイナさんは絶対にあたしが守りますから! こんな場所で安心して下さいというのも変ですけど、その……」 「……言いたい事はよく分かりましたから、それ以上話さなくて結構ですわ。 制止を聞かずに来た私が、悪いのです。 貴方は自分の職務を全うしてくださいな」 気が狂いそうな光景で、戸惑いを見せる小さな役人の感情がくすぐったい。 知らずに苦笑してしまうアイナだが、心は少し緩んだ。 気遣いながらにミフレに謝罪と――気付いた点だけを、礼代わりに伝える。 「それよりも、気をつけて下さい。 貴方もお気付きだとは思いますが――この事件、魔法使が絡んでいますわよ」 「えっ……ええっ!?」 今初めて知ったと言わんばかりに、ミフレが驚愕の雄叫びを上げる。 その様子に、心から溜息を吐くアイナ。 頼もしいのか虚勢なのか、この新米役人はどうにも分からない。 「建物を揺さぶる規模の破壊力―― 貴方も事務所で感じたでしょう」 「でもでも、爆発物の可能性も……」 「ならば、現場へ駆けつける僅か数分でこれほど早く鎮火はしませんわ。 先程から降り始めた雨でも、到底足りません。 それに――現場に魔力の残り滓を感じます」 「魔力……? アイナさん、魔力の感知が出来るんですか!?」 ――心が緩み、気まで許してしまっていたようだ。 浅はかに助言をした己の行いを恥じる。 アイナは動揺だけを何とか隠して、厳しい眼でミフレを見つめる。 「私の事はどうでもいいですわ。 生死の判断が出来ませんが、攻撃魔法を使用出来る人間がこの死体を生んだ事になります。 しかも、人体を炭化出来る程の実力者―― 中級レベルに匹敵する魔法使が野放しになっている可能性があります。 今貴方がすべき事は、私の詮索ではないでしょう!」 「は、はい! ごめんなさいです!」 ピンと背筋を張って敬礼、ミフレはアイナに傘を渡して現場へ駆け出す。 その後姿を見て小さく安堵の息を吐いて、アイナは受け取った傘をそのままに最寄の廃墟へ―― 雨風をしのげる場所なら、何でも良かった。 なるべく死体を見ないように気を使いながら、出入り口付近で腰を下ろす。 水滴がスカート越しにお尻を濡らし、不快感に表情を曇らせる。 ――この都へ到着して一日、不快な出来事の連続だった。 (兄さん……) 人々に国家の隆盛を見せる大きな都でも、心の中の不安は消してくれない。 兄の行方を追う先に、この都の影が見え隠れしている。 今晩起きた出来事は極めつけといえるだろう。 何かが起きている―― 今日一日の出来事を脳裏に浮かべる。 職業安定所における兄の動向、役所で聞いた国家の要人の行方不明。 躯病の少女、第一皇女の不穏な行動、紅いローブとサングラスをつけた不審者―― 夜の闇が深くなるにつれて、アイナもまた思考の海に沈んでいく。 視線を下に向けて――ある一点で、停止する。 脳裏に浮かんだあるキーワードが、急速に現実味を帯びる。 アイナは驚愕のまま立ち上がり、見たくもなかった現場へ足を踏み入れた。 焼け焦げた物体や空気に混じる異臭にも、反応を見せない。 何者にも目を暮れず、足を速めてアイナは視点の先に腰を下ろした。 白い指先が、雨に濡れた土に触れて―― 「これは……」 死体の影に転がっていた――割れたサングラス。 魔力の余波を浴びたのか、フレームが歪んでいるが間違いない。 アイナは恐る恐る手に取って、確かめている。 当たり前だがただのサングラス、代わり映えなどある筈がない。 ――偶然だろうか? サングラス自体、特に珍しくない。 それこそ二束三文の手頃な品、子供でも簡単に買える。 直射日光から身を守る、ただそれだけの道具に過ぎない。 死体が持っていたというだけでは、大した手掛かりにはならない。 偶然、そう考えるのが自然だ。 しかし―― アイナはそこまで考えて、ふと眼に留まった。 ゆっくりとした歩みで慎重に近付いて、彼女は地面に柔らかな人差し指を当てる。 濡れた感触――血。 白い指先を濡らす液体はまだ暖かく、湿り気を帯びていた。 (この感触、明らかに魔法が使用された後で流れた血――これは!) 凄惨な現場で隠れているが、生暖かな出血の量は相当だった。 しかも血の跡は現場へ留まらず、裏道へ向けて点々と続いている…… アイナは鼓動を高め、息を呑む。 思わず周りを見ると、ミフレは懸命に現場で作業をしているのが見えた。 彼女に伝えるべき、それが賢明な判断。 万が一犯人ならば、これ以上はないほど確かな手掛かりだ。 深手を負った身体でそう遠くへは逃げられない。 だが――もし、もしも…… "サングラスにマスクした怪しい奴だよ。 真っ赤なローブも着て――" アイナは割れたサングラスを、痛いほど握り締める。 状況証拠であるというだけで、何の保証もない。 濃厚な死臭と雨風に濡れた血で満たされた、異様な空間。 想いを寄せる兄と共にいた、異様な風体の人物。 二つを結ぶキーワードがサングラスであると言うだけ―― アイナはキツく目を閉じる。 逡巡する想い―― 踏み込むべきではないと警鐘する理性。 乗り越えていけと叫ぶ本能。 このまま放置すれば恐らく、この事件に自分が関わる可能性は消失する。 濡れた血は雨水に洗い流されて、足取りは消えるだろう。 万が一でも兄と関係がなければ、厄介事を一つ背負う羽目になる。 血の先に、この恐るべき現場を生み出した犯人がいれば。 人間を炭化する実力を持った魔法使がいれば。 兄の行方を知る、人間がいれば―― アイナの美しき紅き髪に水滴が零れる。 頬を伝う雨水はまるで涙のように、悲しく流れ落ちた。 (兄さん……) 雨の中懸命に任務を遂行する少女を一瞥。 傘も差さずにずぶ濡れで、懸命に現場の調査に取り掛かっている。 真っ直ぐな少女に――アイナは黙って小さく頭を下げた。 彼女はそのまま背を向けて。 真夜中に満ちる闇の奥へ――駆け出して行った。 to be continued・・・・・・ |
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