第二話 「屍人」 |
「気がつかれましたか?」 埃の立つ古臭い部屋に寝かされて困惑していたところへ、突然来室してきた一人の人間。 状況が掴めず混乱していたシフォンに、更なる追い打ちをかける。 頭まで被っている赤のローブ、顔中を覆い隠す白い包帯――不気味な色をした肌。 魔の属性を孕んだ毒素に身体中が穢されている、少女。年相応の可憐さを病魔が奪い去っている 人としての面影が残されている分、余計に痛々しい。唯一残された女の子らしさ――人形のような綺麗な瞳は、冷え切っている。 女の子には残酷極まりない運命の証。無残な死を確約させる、病気。 『骸病』――人で在る事を許さない難病に、少女は犯されていた。 「き、君が、その……」 「――はい、勝手ながら傷の手当をいたしました。あのままですと、死んでいましたので」 少年の驚愕を、少女の冷静が上書きする。シフォンの困惑の意味を知りながら、一番簡単な問いにだけ答えた。 当然シフォンが聞きたかったのは自分の事だが、同時に少女への疑惑も大きい。 どうあれ人間、一番最初に相手を知る要素は外見である。穢れた肌を見て驚かない人間は、少女の人生の中にはいなかっただろう。 そして、シフォン・ノーブルレストも特別な人間ではなかった。 「手当……? まさか、君が僕に触っ――」 「……」 「あ、ご、ごめん……!? そ、そういうつもりじゃなくて、あの……!」 "見苦しい男じゃ。幾万の言葉で取り繕うとも、たった一度の所作で丸分かりじゃというのに" 慌てるシフォンとは違い、少女は気にした様子もなくベットの脇の椅子に腰掛ける。 少年の謝罪は耳に届いただろうが、気持ちまでは伝わっていないだろう。その証拠に、シフォンの中にいる存在は嘲笑っている。 頭の中で笑われて羞恥がわくが、恐怖までは消えてくれない。 『骸病』は感染経路が不明な病気――接触して発症する危険性があるので、施設では徹底的に隔離する。 「ごめんなさい」 「え……?」 「医者を呼べず、私が傷の手当をするしかありませんでした。 ごめんなさい。私は――貴方に、触れました」 淡々とした口調だからこそ感じられる、申し訳なさ。包帯を巻いた少女は深刻に、頭を垂れる。 シフォンは自分の心の狭さに罵倒したくなった。傷の手当をしてくれた少女への、罪悪感だけではない。 申し訳なく思いながらも――骸病の患者に触れられた事に、恐怖してしまっている。 大怪我を負ったとはいえ、健康だった自分に烙印が刻まれた可能性がある。そう考えるだけで、迂闊に触れた少女を罵倒したくなる。 そんな事を少しでも思う自分もまた、罵倒したくて仕方がない。どうしようもない愚か者の、ジレンマだった。 "……やれやれ" 我が身可愛さの身勝手さと、他人を労る思い遣り。人間の心の複雑な構造は、人ならざる者には理解し難い。 善悪という相反する理念を、一つの心に何故抱えられるか。何故抱えようとするのか。 少年の未熟な精神に触れて、少年の中の存在は嘆息する。 何時の世でも人は愚かで――どうしようもないほど、変わらないと。 "我を飲み干す豪胆さがありながら、汝は何故斯様な存在を恐れる" (な、何だよ、いきなり! 別に恐れてなんか……) "我に嘘はつけんというのに……まあよい、聞け。 汝は我と魂魄を共にする存在、貴様も既に生粋の人間ではない" (ぼ、僕が、人間じゃ……ない……!?) 慌てて自分を見下ろすが、大怪我を除いて何も変わった様子はない。変わっていないからこそ、何となくだが理解出来た。 自分の心に訴えかける、もう一つの存在。一つの脳を共有する、二つの精神。 二にして、一なる存在――其の様な在り方は、人としての理から外れている。 "我が汝の制御にあるように、汝もまた我の影響下にある。 この娘を蝕んでいる魔の属性を孕んだ毒素も相当なものじゃが、我を侵蝕する事は到底かなわぬ。 なれば、我を内包する汝が汚染なぞされる筈がなかろう。 汝が今感じている恐怖こそ、我への侮辱と知れ!" 骸病に冒された人間は、紅の毒素によって魔物へと変貌する。魔の属性を孕んだ毒素が身体を蝕み、全身に広がっていくのだ。 皮膚は変色して紅の斑点を刻まれ、病状の経過と共に肉体が変質する。 だがシフォン・ノーブルレストは、骸病の魔素より強い猛毒に犯されている。人間如き及びもつかない、存在によって。 毒は、より強い毒には勝てない。魂まで陵辱された少年に、骸病の少女との接触は何の意味もなかった。 接触感染であっても、触れた瞬間に毒は消されてしまう。 少年は――複雑だった。骸病という病気にはかからなくても、猛毒には感染してしまっている。 肉定的には影響が無くても、精神は明らかに影響を受けている。心を覗かれるのは、当然いい気分ではない。 骸病以上に改善出来る余地がない毒に、感染――そう思うと、目の前の少女に親近感がわいた。 「助けてくれただけで感謝してる。本当に、ありがとう」 「――助かったとは限りません」 骸病に感染した疑いがあると、自分の責任であるように少女は打ち明ける。 シフォンは首を振った。自分の中に居る存在は正体こそ謎だが、嘘は言わないと確信出来た。 心を共有する影響なのか判断は出来ないが、自然に受け入れられている。 「上手く言えないけど、僕は大丈夫。それより、僕の方こそごめんなさい」 「謝るのはこちらの方です。貴方ではありません」 「君が悪く思う事はないよ。僕の方こそ、いけなかったんだ。 こういう時に謝るのは逆に失礼だと思うけど……言っておきたかった」 自分の中の存在を伝えれば、気味悪がられるだけだろう。そう思うと、小気味良かった。 骸病の少女を恐れる自分が馬鹿馬鹿しくなる。自分の方こそ、魂まで穢れた人間ではないか―― 外見と内面の違いだけ、競い合うものではない。 「僕はシフォン、シフォン・ノーブルレスト。君の名前を聞いてもいいかな?」 シフォンは、手を差し出した。白い包帯が巻かれた、手を―― 勇気ある歩み寄りではない。感染しないと分かっているから、安心して差し出している。 説明もしていない少女には、奇異に見えるだろう。実際、少女の瞳は見開いていた。 命を救ってくれた恩人に、感謝も出来ない人間にはなりたくない。少年なりの、せめてもの抵抗だった。 「――スミレ。スミレ・プレリュードです」 おずおずと差し出されたスミレの手を、シフォンはしっかりと握りしめた。 身体が汚れた少女と、魂が穢れた少年―― 未来に至る道は閉ざされて、残酷な今を歩んでいる。少しでも、生きる為に。 結ばれた手に生の温もりはなく、死んだように冷たい。 to be continued・・・・・・ |
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