第三話 「信仰」 |
スミレ・プレリュード、彼女は親切な人間だった。奇病というだけで気味悪がった自分の許容の狭さを、シフォンは恥じる。 大怪我を負った自分の身体の面倒を看てくれて、朝昼晩嫌な顔一つせず面倒を見てくれている。 毎日の薬と包帯だけでも金はかかる。家を飛び出して職も金も無い自分――彼女の優しさに応えられない事が、情けなかった。 「すいません、本当に。いずれ必ず、この御恩は返します」 「今は怪我を治す事だけを考えて下さい」 狭く、薄暗い部屋。積もった埃に覆われて少し息苦しい印象を与えるが、今の環境にも慣れつつある。 意識を取り戻して数日、シフォンは自分の置かれた状況も理解しつつあった。 神にすら見離された、古びた教会に近しい場所――貧民区域。貧困に喘ぐ民が群れをなす無法地帯の一角に、この家が建てられている。 古びた木造建築の家屋、貧民区の劣悪な環境に適した廃屋寸前の建物。人が好んで住む家ではない。 だからこそ、骸病に犯された彼女が暮らしていける場所なのだろう。人の目を忍んで、静かな生活を彼女は送っている。 シフォンは恥だと思わない。理由はあれど自分勝手に家を飛び出して、毎日の生活にも困っている自分には御似合いの場所だった。 「いつも丁寧に手当てして下さって、ありがとうございます」 「薬の扱い方には慣れていますから」 爛れた皮膚で覆われた手で、怪我したシフォンの手に白い包帯を巻いていく。最初は抵抗があったが、今では自然に身を任せられている。 赤いローブを着た少女が感染している病気、『骸病』――根本的な治療法はなく、食事制限や薬物投与等で症状を抑えるしかない。 骸病は医者ですら忌避されている、難病。自己改善による養生でしか、彼女は生きる手段がないのだ。 怪我と病気は違うものの、薬の取り扱いに長けている彼女の言葉には重みがあった。 「……すいません、お医者様を呼べれば一番なのですが」 「き、気にしないでください!? こうして治療していただいているだけで、本当に助かっていますから!」 淡々と言われるので感情が掴みづらいが、親身に思ってくれているのは言葉で分かる。シフォンは恐縮して、お礼を言い直した。 スミレさんは病人であって、怪我人ではない。傷薬や包帯類だって持ち合わせなんて少ない筈だ。 彼女が昼間買い物に出て、自分の為にわざわざ手に入れてくれている。 骸病の患者は何処へ行こうと忌避される――要らぬ苦労と苦痛を味わって治療してくれているのに、文句など出よう筈が無い。 心苦しくて仕方なかった。恩を返したいと思うのだが、怪我で動けない自分に出来る事はたかが知れている。 せめて何か出来ないか、考えに考えているがシフォンには答えが出せない。自分は世間知らずだと、思い知らされるばかりだった。 「痛みもひいたようですね。食事の支度をしてきますが、食欲はありますか?」 「は、はい、いつもすいません……もう自分で食べられますので」 「分かりました」 血で汚れた包帯を嫌な顔一つせず片付けて、スミレは退室した。気まずい空気となった事を、気遣ってくれたのだろう。 頭が下がる思いだが、その気持ちを察して気を使われるようでは悪循環だ。 独り立ちすべく都に来た早々状況に流されているようでは、先が思いやられる。シフォンは重い溜息を吐いた。 "死地より運良く生還したというのに落ち着かん男じゃのう、汝は" "人間には、色々と悩み事があるの" "ほう、ようやく我の存在を認知し始めたか。いちいち動揺されても鬱陶しいだけじゃしな" 悪夢からの唯一の手土産である、小瓶に封じられていた存在。数多くの贄を捧げられて、この世に降臨した力在りしモノ。 話を信じるならば、融合された魂は二度と引き離せない。身体はシフォンが制御出来ても、心は共有して生きていかなければいけない。 そんな彼女の存在が、骸病の魔素による感染を防げているのだから、皮肉としか言いようがない。 "どうせ、僕の心を読んでいるんだろう。何か彼女に出来る事はないかな?" "何故人間如きの相談に乗らねばならぬ。身の程を知れ" "あんたはこれから、その人間如きと共に生きていかなければいけないんだろう。悩み事くらいは聞いてくれ" "我が危害を加えられると知った途端にその態度か、器が知れるわ。あのような小娘一人手懐けられぬのも頷ける" "手懐けるとは、また言い方が悪い。僕はただ、恩返しがしたいだけで――" "大火傷を負って身動き一つ取れぬ汝に、何が出来る。弱者の哀れな施しを甘受しておればよい" 魂の融合は心の共有、一つの身体に二つの意思を宿らせる。身体が死ねば、二つの生命は同時に消え去る。 その事が作用しているのか分からないが、彼女は比較的シフォンの話を聞いてくれている。 高圧的な態度は始終一貫しているが、人間如きと見下ろしながらも耳は傾けている。無論、親切心ではないだろうが。 "スミレさんの優しさで、僕は命を救われたんだ。恩返しをしたいと思うのは、人間として当たり前じゃないか" "人間の定義を、優しさで位置付けるのか。我がこの世に存在する理由こそ、人間の所業であろうに" "い、良い人間と悪い人間がいるんだよ、この世の中には!" "貴様達の崇める神たる存在ですら、聖邪の認識も出来ておらぬ。人間など清濁雑ざりし、雑種に他ならぬではないか。 ――まあ、よい。その時々で主張の変わる貴様と論議しても時間の無駄よ" "うっ……" それほど優柔不断だろうか……? 少し考えてみると次から次へと思い当たる点があり、シフォンは落ち込みそうになる。 この国の王女様であるニーコの行方、神を崇める謎の集団、堕天使――あの夜の悪夢を思い出しただけで、気が気でなくなる。 怪我を理由に寝ているだけ、結局は停滞でしかない。目の前の事に振り回されている事を自覚出来ているから、余計に情けなく思う。 神という存在が本当にいるのなら、聞きたい。僕は、どうすればいいのだろう―― "――貴様が思うほど、清廉な娘ではない" "えっ……?" "生まれ持った体質か、生まれ育った環境によるものか――我は興味もないし、知ろうとも思わぬ。 事実として在るのは、あの娘が魔素に犯されているという事。 魔は忌避すべき異端であり、生命に仇なす要素。穢れた業は心を堕とし、身体を喰らい尽くして死に至らしめる。 人は魔を恐れ、闇を遠ざける。魔素に穢されたあの娘は、異端そのものよ。 ――あの娘の悲劇は、聡明である事。 無知であれば救いもあったであろうに、己を正しく認識しているが故に自ら退いてしまう" 大怪我をした人間の手当てを施した上で、触れてしまった事を謝った少女。 自分が骸病の感染者である事を誰よりも痛感しているから、助けてしまったと謝罪する。 それはどれほど悲しく、辛い事なのだろうか……? "人は「優しき」存在であると汝は唱えたが、儂は「群れる」存在であると思うておる。 汝の瞳に映りし存在は、聖女ではない。汝と同じく、認識出来ぬ要素に穢されて嘆き悲しむ幼子よ。 親に育てられた子供が最初に求めるもの、他ならぬ貴様自身が一番分かっておるであろう" "あっ――で、でも、本当に……?" "確認するのは我ではない、汝自身じゃ" ……難しく考える事は、なかったんだな…… 人間ではない存在に、人間としての付き合い方を教えられるとは思わなかった。シフォンの口元に、笑みが溢れる。 大勢の人間の命を生贄にして生誕した彼女もまた、普通の人間には忌避される存在なのかもしれない。 けれど、こうして話せている。話しかけて、くれている。 どんな存在であっても、ただそれだけで嬉しいものなのだ―― "……ありがとう、相談に乗ってくれて" "暇潰しじゃ、延々と愚痴を聞くのもつまらん" 恥ずかしげもなく言いのける彼女に、シフォンは内心苦笑した。照れも何もなくそう言える彼女は、やはり強い。 人間じゃないけれど、見習うべき点は見習おう。毅然として生きていかないと、この現実で生きていけない。 自分の家を出て、初めて何かを学べた気がした。 パンと手作りのスープ、コップ一杯の水。スミレが用意してくれた食事に手を合わせ、シフォンはご馳走になった。 スプーンの先のスープが温かな香りを放っており、口に近づけるだけで食欲が刺激される。 口内に広がる芳香を堪能して、久しぶりの家庭の手料理をシフォンは味わう。質素な食材で作られた料理は、完成度の高い芸術品だった。 「美味しいです、このスープ。プレリュードさんは料理が御得意なんですね」 「スミレでかまいません。毎日作っていますので、慣れました」 テーブルに椅子二つのみの食堂で、二人並んで腰掛けて食事を取っている。 家の中を出歩けるほどには回復したが、無理な運動は控えるように言われている。厳しい人だと、シフォンは肩を竦める。 食堂より薄い扉を隔てて隣にある厨房からも、温かなスープの匂いが伝わってくる。 「よかったら今度、僕に料理の作り方を教えて下さい」 「――人に教えられるほどのものではありません」 「簡単なものでもいいんです。 これから先都で一人暮らしをしていくつもりなので、自炊くらいは出来ないと」 自分には何も出来ない――ただの言い訳だった。自分が無力である事を盾にした、卑怯な手段。 ニーコを守り切る事が出来なかった事に、あれほど悔やんだ筈なのに。妹を置いてまで、家を出た意味がない。 怪我で動けなくても、こうして話す事は出来る。彼女の事を何も知らずに、恩返しも何もない。 女の子との距離の取り方はまだ分からないけど、少しずつでも仲良くなりたい――シフォンは克己する。 「……ノーブルレストさんは、この都の生まれではないのですか?」 「出身はこの国ですが、実家は田舎です。都に職を探しに出てきたのですが、この有様でして―― あ、それと僕もシフォンでかまいません」 「はい」 大した話は出来なかったけれど、シフォンにとって少しは進展になった。温かい食事と彼女に感謝して、ご馳走様という。 食前と食後の二回、彼女は神への祈りを捧げている。敬虔な信者であるのか、とても熱心だった。 シフォンはその事にはまだ触れていない。神に感謝の礼を述べるには、彼は少し不誠実な事を考えてしまっている。 本当に神様がいるのならば……何故彼女に、このような呪わしき病を与えるのか。 「スミレ、帰ったよ」 「――父様」 「父様!?」 そして、何故自分に次から次へと数奇な運命を与えるのか―― 突然の身内の帰宅に、シフォンは思わずテーブルの下に隠れそうになる。 父親――シフォン・ノーブルレストにとって、鬼門ともいうべき存在だった。 to be continued・・・・・・ |
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