第四話 「父親」




 シフォン・ノーブルレスト、彼は父親にいいイメージを持っていない。好色な鬼畜漢、民を虐げる暴君――それが、彼の父親。

権力を民ではなく己の為に使い、欲を満たす道具として扱った。実の子供にも決して愛情を持とうとしない。

民の怨嗟は領主である父だけではなく、父の血が流れる子にも向かう。家を捨てても、生まれまでは変えられない。

父親と聞いた瞬間、シフォンは咄嗟に身構えてしまう。相手もまた然りだ。


「何者だね、君は!」


 スミレ・プレリュードが父と呼ぶその人物は、背の高い銀髪の男性だった。

清貧な暮らしに生きる人物。風雅に身を任せず、物事の内面の価値を尊べる人間。

際立った容姿ではない。けれど、好感が持てる人物。率先して好かれたいと思えるような男性だった。


「父様、私がこの家にお招きしたのです」

「……スミレが?」

「はい、見ての通り酷い怪我だった。手当てをしなければ、罪の無い命が消えていたでしょう。
父様に教えて頂いた神の教えを実践いたしました」

「そうか……怒鳴りつけてしまってすまなかったね、君。
娘は見ての通り、病を患っていてね……父である私としても、つい神経を尖らせてしまう」

「い、いえ!? 僕の方こそお世話になってしまって……!」


 子供どころか家族にも恵まれていないが、この男性の言う事はシフォンにも理解出来た。

『骸病』は子供でも知っている難病中の難病で、感染経路が不明。医者でも匙を投げるか、世間から徹底的に隔離するだろう。

奇病ゆえに、様々な尾ひれある噂が広がる始末。病に冒された者は子供も大人も関係なく恐怖し、忌避される。

骸病の患者の扱いは国家でも対応に苦慮し、近隣諸国で対処は異なる。


人道的な、対応・・から――非人道的な、処分・・まで。


「酷い傷だね、医者に診せてやりたいが……どうやら訳ありのようだね。この界隈では珍しくもないが」

「……すいません、色々ありまして……迷惑になる前に出ていきますので」


 事情をよく理解していないのは、シフォンも同じだった。今思い返しても、悪い夢だったのではないかと錯覚してしまう。

単身で城を出た王女、攫われた王女の友人、王女を狙う謎の集団、集団を殺した堕天使、天使すら落とす力を持つ存在。

王族を狙う国家規模の犯罪、役人に通報したいが耳を傾けてくれるか分からない。


何よりニーコが無事でなければ、連れ回したシフォンも責任を問われる。シフォン自身、己を許せそうにない。


「怪我が治っていません」

「スミレさん……でも――」

「事情は分からないが、その怪我では動く事もままならないだろう。
迷惑になる前に、と思うのならば尚の事、今は休んでいきなさい。家の前で倒れられても困る」


 スミレの口添えと、父親の配慮。どちらも傷ついた体に染み入る優しさがこめられていた。

人並みの優しさ、それすらも与えられなかったシフォンは涙腺が緩みそうになる。

ただ頭を下げて礼を言うくらいしか、少年には出来なかった。スミレの父も満足げに頷く。


「スミレ、薬と包帯は私が買ってこよう。彼を看ていてあげなさい」

「はい。ありがとうございます、父様」

「娘の我侭を聞くのも、父親の義務だよ。さあ、三人で食事にしよう」


 パンとスープの簡単な食事。貧しい食卓であっても、人の情を感じるだけでこんなにも温かい。

温厚な父と寡黙な娘の、二人だけの家族。それでも寂しさを感じないのは、二人の間に確かな絆があるからだろう。

羨ましいと思うが、嫉妬はない。家族の温かさに触れられるだけで、シフォンは居心地が良かった。


少しだけ、傷の痛みが和らいだ気がした。















「――聖職者、ですか……?」

「まだ神の城を築く事は許されていないが、教えを説いて回っている。
貧窮に喘ぐ人々にこそ、信仰が必要なのだと私は思っている。礼拝はなくとも、祈りを捧げる事は誰にでも許されている」


 食後の一時、お茶はないが穏やかに時を過ごしている。

スミレがシフォンの眠っていた部屋を整えてくれている間、父親と二人で話をしていた。

身の上話というほどではなく、互いを知る第一歩として。


「神父様だったのですか。どうりで、人柄の良い人だと」

「まだまだ未熟者だよ。神にこの身の全てを捧げられていない」


 神にとって人間は平等だろうが、人間にとって神は平等ではない。

絶対なる神を最上位に定め、信者を格付けしている。"神位"と呼ばれる階級があり、権力もまた存在する。

分かりやすい格付けとして、教会を任されるかどうかにある。礼拝を持つ事で、神の僕たる資格が与えられる。

スミレの父は神位を持たず、人々に教えを説いて恵みを受けている。


「心まで貧しくならないように、この貧民区で教えを説いて回っているのですか」

「この貧民区に生きる人々は、今日を生きる事で精一杯だ。そんな人達に、明日の素晴らしさを教えてやりたい。
心が裕福になれば、他人にも優しく出来ると私は信じている」


 ――シフォンにも頷ける話だった。自分に余裕のない人間に、他人の面倒なんて見れる筈がない。

少年の父は財を持つ領主であったが、心はどうしようもないほどに餓えていた。

その息子であるシフォンは何も持たず、ただ求めるだけで息切れしていた。他人に優しくなんて出来ていない。


妹も力があるから大丈夫だと、置き去りにした――


「貴方は、え〜と……」

「ああ、名乗っていなかったね。セレクト・プレリュードだ、君は?」

「僕はシフォン・ノーブルレストです。セレクトさんは、人々に何か見返りを望む事はないんですか?」

「私はもう十分に与えられているよ。
考えてもみたまえ。貧民区とはいえ、難病の娘を安穏と放置する筈がなかろう。

人々の慈悲により、私達もまた守られているのだよ」


 骸病感染者は健常者の敵、そんな彼らの疑心をセレクトが正しく説いているのだ。

極端に博愛とはならずとも、黙認に近い形で平和な生活を許されている。

世界でも、国でもなく、人。人間に認めてもらい、貧窮の中で必死に生活している。


「本当に立派ですね、セレクトさんは」

「全ては神の御慈悲――そう言えなければ、神格者とはいえない。私もまた神に縋っているのだよ、シフォン君。
娘の幸せを何より願っている。なのに……」


 ――心に神を抱けない神父。セレクトが教会を持てない理由が分かった。これ以上ないほどに、辛く。

本当に神様がこの世にいるのなら、何故敬虔な神父の娘であるスミレが難病に冒されているのか。

祈りが本当に神に通じるのならば、何故スミレの病気は治らないのか。


この世の理不尽を変えられないのならば――神は、必要なのだろうか?


けれど医者に治せないのならば、神に祈るしかない。神頼みするしか、救われる道はない。

信じたいのに、信じられない。信仰に心を預けるには、あまりにも現実を見すぎてしまっている。

居た堪れない――神ならぬシフォンには、どうしようも無かった。


「……シフォン君。君に頼みがある」

「僕にですか……?」

「怪我が治るまでの間でかまわない。娘の話し相手になってやってくれないか?」


 言葉だけの頼み事ではない。そこにこめられた願いは深く、容易には叶えられない。

スミレは難病に冒された患者――その呪いは皮膚を蝕み、人である事を許さない。

人を呪い、人を拒む、悪魔の病。傍にいる者に害を与えてしまう危険がある。


けれど――


「頼まれるまでもないですよ。僕の方こそ、スミレさんと友達になりたいと思っています!」

「あの娘と、友達!?」


 自分の方こそ、神に感謝したい気分だった。友達のいない自分に機会を与えてくれたのだから。

そう、シフォンもまた魂を穢されている。神か、悪魔か――人ならざる者と一つになって。

汚染された自分に、病魔は通じない。骸病に感染する事はないのだ。

……どういう存在なのか分からないけど、自分と運命を共にする彼女を信じたい。

治す事は出来なくても、何とか見つけたい。こうなってしまった事への、意味を。


「……、……君は大胆な男だな。父親に向かって、娘との交際を宣言するとは。
神をも恐れぬ暴言だ」

「ち、違います!? 僕はただ――!」

「冗談だよ、君は純朴な人間だね」


 セレクトは朗らかに笑う。湿った空気が笑い声に払われていくようだった。

ひとしきり笑って、セレクトは真摯に少年に頭を下げた。


「スミレを、よろしく頼む」

「はい!」


 何の解決にならなくともいい。あの子と友達になりたい――その気持ちだけは、本物だった。

現実は酷い事ばかりではないのだと、少年は思いたかったのかもしれない。

結末はこれ以上ないほど、分かりきっているのに。


スミレは死ぬと分かっていても――せめて。


この世に確かにいるのは神ではなく、神の慈悲なく必死に生きる人である。
























 




to be continued・・・・・・







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