第五話 「少女」




 大小あれど、貧富の差は何処にでも存在する。均質された国など、この世界には存在しない。

衰退と繁栄、浮き沈みが起こる度に、時代の波に巻き込まれて人々が翻弄されていく。

富裕層と極貧層。同じ人間でありながら、住む世界が異なり、価値観も違ってくる。


「安定した生活……?」

「はい、ここの人達は富を望んでいません。貧しくとも幸せはあります」


 労働力超過や身分の差で行き場を失った人間が集う地、貧民区。スミレの家もこの区域に建てられている。

旧時代以前の腐敗が残された環境の悪い区域に住み着き、無秩序な暮らしをしている。

放置された廃屋や空き地が目立ち、即席で作られた住居が数多く並んでいた。


此処がスミレの生きている――貧民区。


「幸せか……皇都に来る前から、此処についてはあまりいい噂を聞いてなかったけど」

「……軽犯罪が頻繁に起きているのは否定しませんが、犯罪の温床と言われる程ではありません」


 怪我はまだ治っていないが動けるようにはなったので、シフォンはスミレの外出に同行している。

安静にしているように言われたのだが、ジッとしているままで何も分からない。無理に頼み込んで、何とか許可を貰えたのだ。

骸病に感染しているスミレを連れ回すことは出来ず、基本的ついていく形で貧民区を見て回っている。


「貧困が、一番の犯罪の原因です。餓えは理性を奪い、倫理を歪める。此処に生きる事に罪はありません」

「それも、お父さんの教え?」

「私が私で在る為の戒律です」


 彼女は常に赤いローブを身に纏って、姿を隠している。爛れた皮膚を見せない為の処置であろうが、自分を律しているのかもしれない。

身なりを気にしない住民の中でも異端ではあるが、父親の尽力の賜物か、表立って非難する人間はいない。

シフォンも好き好んで彼女の事情に土足で踏み込みたくはない。

ニーコと同じローブを着ていなければ。


「あの、さ……そのローブなんだけど」

「……聞きたかった事はその事ですか?」

「えっ!? な、何が……?」

「目覚めてからというもの、ずっと私を伺うような顔をしておりましたので。
病気に冒された私を恐れているのかと思いましたが、貴方は私に不思議と友好的に接して下さっています。

何をお聞きしたいのか、ずっと考えていましたが……疑問がようやく解けました」


 彼女の顔色を密かに伺っていた事を見破られていたらしい。彼女が鋭いというより、シフォンが鈍いのだろう。

ニーコ――ニンファ=シェザーリッヒ、彼女の友人を誘拐し、王女本人を城の外へ無理矢理連れだした謎の組織。
彼らは王女に赤いローブを渡し、着るように脅迫した。スミレが着ているのと、同じローブを。


「そのローブは、お父さんが拝する教会の……?」

「そうです。父様は礼拝を許されておりませんが、神は全ての子に寛容です。
私のような人間にも、礼服は許されております」


 神の教えか、父の教育か――いずれにせよ、信仰に従って毎日着ているらしい。

疑うべき点はなかった、少なくとも彼女には。彼女が王族を狙う理由が思い当たらない。

だが、安心するのはまだ早い。彼女や彼女の父親が崇める神が、本当に善なる存在であるか分からない。


「先日スミレさんのお父さんとも話したんだけど、とても立派な方だね。
どんな身分でも別け隔てなく接し、人々の幸せを心から願って活動されている。神の教えだと言っていたけれど――」

「――貴方は、『聖道会』を御存知ですか?」

「聖道……? ごめん、知らない」

「近年、国より聖教の認可を授かった『レビテ教』を母体として活動している宗派です。
千名ほどの信者で構成されており、その多くは私達のような身分の者です」


 レビテ教は大陸中央に総本山のある、国内有数の勢力を持つ宗教である。

神に祈りを捧げる時、多くの人が思い浮かべるのはレビテ教が崇める神様であろう。

連なる宗教団体も各国に幾つもあり、それぞれの思想や解釈で教えも変わってきているようだ。

スミレの父親が崇める宗教は、国より正式に認可を受けているようだ。邪教まがいな真似をする必要はどこにもない。


「その赤いローブも、聖道会という団体の……?」

「はい。近年成立したばかりですので、シフォンさんが知らないのも無理はありません」


 一般的ではないが、レビテ教の信者としては珍しくはない服装。世間慣れしていないシフォンは、当然知らなかった。

ニーコは王族とは言え、箱入り娘。世情に疎く知らなかったのも頷けた。


しかしそうなると、赤いローブだけで犯人を追うのは難しくなってしまう。個人では限界があるだろう。


せめて王女の安全、希望を言えば攫われた友人も救出してあげたい。

王女誘拐を企む組織と、無理に対立する必要はない。極めて困難な状況の中、シフォンは突破口を探す。


「……難しい顔をされていますが、このローブに何かあるのですか?」

「い、いや、この都に来た時に同じような服装をした人がいたので気になって……」

「人目にはつきますね。私も少々困っています」


 見た目も気にしているらしい――スミレの意外な感想に、シフォンは逆に驚かされてしまった。

ニーコの事については話さず、嘘ではない程度にシフォンは誤魔化した。関わりがないのなら巻き込むべきではない。

貧民区を彼女と一緒に歩いて、近辺の様子を観察する。怪我が治り次第、行方不明になった王女を探すために。


「買い物がありますので露店に寄ります」

「あ、荷物持ちますよ」

「結構です。まだ怪我は治っていないのでしょう」

「手伝わせてください。力は有り余っていますから!」

「……顔色は良さそうですね……」


 ローブの下で、溜息を吐かれてしまう。承諾は貰えたのだと、シフォンは自分を奮い立たせる。

家事をそつなくこなすスミレは何でも自分でやりがちだ。それでは、恩を返す余地がない。

多少強引でも申し出なければ、世話になりっぱなしになってしまう。無理だけはせず彼女の力になれればと、シフォンは思う。


――貧民区とはいえ、人が生活する領域。道沿いには露店があり、食料や日常品など雑多に商品が売られている。


品質保証なんてされていない店が大半だが、誰も気にしていない。上品なお客様は、まずこの界隈には来ない。

彼女は、その一画に立ち寄った。


「すいません、食料と水を売ってください」

「……」

「代金はこちらに入れております。いつもありがとうございます」


 商売が成立しているとは思えない、やり取り。店主は客にお礼も言わず、注文の品が入った袋を渡すだけ。

彼女は生活に必要な食料と水を受け取り、金の入った袋を置く。手渡しはせずに。

距離は決して縮まらず一定が保たれ、品を受け取ったスミレが礼を言って店をでる。それだけだった。

――この店が特別悪質なのではない。スミレが立ち寄る店は全て、似たような応対をされている。


彼女と接することを、病的に・・・恐れている。



「父様のおかげです」

「え……?」



 帰り道――何も言えずに荷物を大人しく持っていたシフォンに、スミレが静かに語りかける。

空は茜色に染まり、夕日が彼らの影を色濃く大地に映し出している。


決して、互いに重なる事はなく――


「父様が人々に理解を求め、神の愛をお示しになられて、皆さんも私を受け入れてくださいました。
表通りでは、今でも私が歩くと石を投げてきます」

「……」

「仕方ありません、私は病気なのです。移ってしまうと、善良な方々にまで試練を与えてしまう。
日々の糧を売って頂けるだけでも感謝しています」


 最低な接客であっても、店側にとっては最大限の譲歩だという。シフォンは、悲しかった。

いっそ彼女が何も知らぬ赤子の如き愚鈍であったならば、どれほど楽であったか――

嫌われる理由を理解しているから、相手を決して嫌わない。自分が悪いのだと、言い聞かせている。

憤りを感じていても、シフォンにその者達を責める権利はなかった。

病気に感染しない保証があるから、彼は彼女の傍にいられる。そうでもなければ、シフォンも逃げ出していたかもしれない。


「……貴方も、私に気を使って下さらなくてもいいのですよ」

「無理無理、気を使うよ!?」

「そう……ですね、ごめんなさい。病人が傍にいたら、気を使いますね」

「病人というより、女の子が・・・・傍にいると緊張してしまう」

「――」


 スミレが驚いたように足を止め、シフォンは蹈鞴を踏みそうになる。

重い荷物は傷付いた身体にはやはり負担で、シフォンは痛みと疲労で汗を滲ませている。


夕陽の下で――少年と少女は、向き合った。


「女の子……私が?」

「うん。せ、性別、間違えていないよね……?」

「間違えてはおりませんが――」

「だよね、よかった。といっても、お父さんが娘だと言ってたんだけど」


 場を和ませようとしたシフォンの冗談にも何も言わず、スミレは顔を俯かせている。

彼女がたとえ病気であっても、友達になりたい――人間関係に慣れていないシフォンなりの、精一杯の歩み寄りだった。

スミレは自分から踏み込んで、自分を助けてくれた。逆の立場なら、絶対に出来なかった事を。


優しい人が救われないのなら――この世界に生きる意味が、何処にあるというのか。


「シフォンさん」

「はい?」

「今晩は、美味しい食事を作ります。楽しみにしていてくださいね」


 笑顔ではなかったけれど、とても親しみのある声で――

シフォンは何度も、何度も頷いた。子供のように無邪気に笑って、はしゃいで。

ようやくあの悪夢から帰ってこれた気がして、嬉しかった。勇気を出して、初めて良い結果が出た気がした。

その過信が、いけなかったのだろう――シフォンはついつい調子に乗ってしまった。


「僕も明日から、何か仕事をしてみようかな!」

「怪我人がするべき仕事は、傷を治すことだけです」


 本日の成果、プラスマイナスゼロ。人間関係に、進展は見られず――

死病の娘に連れられて、重い荷物を引き摺ってシフォンは肩を落として帰宅した。
























 




to be continued・・・・・・







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