第九話 「黒猫」




 黒猫だった。 星のカタチをした痣のある、黒い猫。少年と少女に見つめられても、少しも鳴かずに二人を見上げている。

綺麗な毛並みで、仕草も洗練されている。誰かに飼われていたのか、手入れも行き届いていた。どこか、気品が感じられる。


心優しき聖者よりプレゼントされたこの猫を、二人は持て余していた。


「か、可愛い猫だね、スミレさん。僕、猫が大好きなんですよ!」

「そうですか、結構な事ですね。私も猫好きにされてしまいましたけど」

「す、すいません、本当にすいません……!」


 シフォンが今請け負っている飼い猫探しの依頼、その仕事の最中にスミレの父親に出くわしてしまった。

仕事を自分一人の力で完遂したい一心で、少年はスミレと一緒にペットになりそうな猫を探していると言ってしまった。

その結果が、黒い猫。娘と娘の友人を喜ばせたいと、彼は可愛い猫を新しい家族へ迎え入れた。迎え入れてしまったのである。


今更嘘だとは言えず、二人して喜ぶ素振りを見せてプレゼントを受け取った。受け取らざるを、得なかった。


「大丈夫です。ぼ、僕が責任を持って飼いますから!」

「シフォンはこれからもずっと、この家に居るつもりですか?」

「怪我が治ったらすぐに出て行きます、お代官様」


 貧しくとも温かい夕餉を囲んだ後、シフォンの寝泊りしている部屋で二人はペットになった猫の取り扱いに悩んでいた。

正確に言えば、スミレが真顔で呟く不平不満をひたすら恐縮してシフォンが聞いているだけなのだが――

いずれにせよ、建設的とは言い難い会議の場であった。


「……別に、貴方を追い出したいのではありません。大怪我をしていた貴方を介抱したのは私ですから、責任は持ちます。
私を気遣うのならば、完治するまで仕事は控えて頂きたいものです」

「そ、それはちょっと……依頼はもう引き受けてしまったし、出来れば最後までやり遂げたいと」

「今日の仕事の成果が、依頼とは違う猫一匹ですか。先行きが思いやられますね」

「あうう……ス、スミレさん、何か厳しいですね」


「貴方を見ていると、苛めたくなります」


 本気なのかどうなのか、家でも着ている赤いローブに隠れて表情は見えない。声も淡々としているが、心なしか口数は多い。

少なくとも二人の間に距離はなく、同じ部屋で男女が向かい合っても両者に無用な気遣いはなかった。

スミレの心は見えないが、シフォンは少なくとも彼女を友達だと思っている。


  心から、友達になりたいと願っている――


「父様も珍しく浮かれていたようですね。この家でペットを飼うなんて」

「勝手な提案をした僕が言うのもなんですけど、ペットを飼うのはいい事だと思いますよ。

この猫も可愛いですし、こうやって撫でればとても気持ちがい――あいたっ!?」

「猫好きなのに、猫には嫌われているようですね」

「御飯を食べて少しは機嫌が直ったと思ったのに、いちち……」


 ザックリ引っ掻かれた爪痕を撫でて、シフォンは涙目で猫を睨みつける。対する黒猫は不遜に見上げて、欠伸をするばかり。

連れて帰ってきた父親の前では大人しかったが、少しでも触れようとすると引っ掻くのである。

プライドの高さこそが気品の表れなのか、猫は人に媚びようとはしなかった。


「スミレさんは猫が嫌いですか? 怖いという訳じゃなさそうですけど」

「……」

「な、何です? 僕の顔をジッと見て……?」

「――無頓着なのか、無神経なのか――貴方は、平気なんですね……」

「どういう意味です?」

「私は、病人です。この子に触れれば、感染する恐れがあります。ですから私は今まで、隣人を求めなかったのです。
私は、未来ある生命を害する存在――正ある者との共存は、出来ません」


 短い期間でも慣れ親しんでいた為に、シフォンは気付くのが遅れてしまった。いや、分かっていながら目を逸らしていたのか。

国家指定有害病である、骸病感染者。醜い痣が全身を覆い尽くしたその時、異形となりて人としての生は断たれる。


感染経路及び発症原因は、不明。ゆえに近づく事すら恐れられ、患者は忌避される。


人ではない存在であっても、例外ではない。動物が骸病に感染した例もある。鼠などの雑種への感染は、特に恐れられていた。

可愛い猫であっても、接触すれば感染する事もありえる。そんな事はないと断言する事は、医者でも出来ない。


シフォンとて、それは同じ。彼が気安く彼女の傍に居られるのは、病気が感染しない絶対の理由があるからである。


彼女を慰める言葉を、持たない。彼女を救う術など、ありはしない。

気障な台詞も言えず、さりとて心優しい気遣いも思い付かなかった。シフォンは、考えるのをやめた。


「でも今更捨てられないですよね、この猫」

「父様には私から話しておきます」

「いえ、やっぱり僕が面倒を見ますよ。可愛いじゃないですか、黒猫。
触れる事は出来なくても、一緒に居てあげるだけで家族になれると思いますよ」

「私が傍に居るだけで、病気に感染するかもしれません。
猫といえど命です。責任が持てるのですか?」

「ペットは飼い主が責任を持つ。当然ですよ!」


「……貴方は本当に、楽観的ですね」


 彼女が、苦笑しているように見えた。錯覚かもしれなくともそうであって欲しいと、シフォンは願ってやまない。

苦笑いであっても、笑顔。悲しい顔をしているよりは、笑っていた方がずっといい。


猫が死ぬ危険よりも、猫が家族になれる希望を持ちたかった。


「では早速名前をつけましょう、名前。スミレさんがつけてあげて下さい」

「猫の面倒を見るのは自分だと、貴方が先程言ったばかりですよ」

「役割分担です。猫のお世話係は僕、名づけ役はスミレさんです」

「そんな役割分担を決めた覚えはないのですが……貴方には何を言っても無駄ですね」


 明日までに考えておきますと、スミレは溜息を吐いた。呆れられてばかりだが、少しずつでも感情は見せてくれるようになっている。

この束の間の日常がいつまで続くのか分からないが、せめて幸せなままで終わって欲しい。

彼女の結末は分かりきっているのに――少年は、希望を捨てられなかった。


彼の中の悪魔は、哂っていた。とても楽しそうに、無慈悲に。















 初めての労働は少年の心に充実感を与えたが、負傷した身体には大きな負担をかけていたらしい。

スミレとその後怪我の治療を受けて、明日の為に早めに床についた。瞼を閉じた瞬間には、眠りについていた。

シフォンの深き眠りを妨げたのは穏やかな朝陽でも、同じ家の住民の挨拶でもなく、



『起きて、起きて下さい。お願いします、私の話を聞いて下さい。失礼――します!』

「いだだだだだだだっ!?」



 頬を切り裂く、鋭い爪だった。快適な睡眠を引き裂く痛みに、シフォンは夢すら砕ける思いで跳ね起きる。

目覚めは当然だったが、事態を把握するのは簡単だった。何しろ昼間、同じ痛みを散々与えられたのだから。

血が滲む頬を撫でつつ、少年は涙すら流して足元に向かって叫んだ。


「コラッ! 飼い主に悪戯なんてしたら駄目だろう!」

『この無礼者! 私の主は姫様ただ一人です!』


「何が姫様だ、今は僕が飼いぬ――へ……? ええええええええっ!?」


 月明かりもない夜に、闇に沈んだ部屋で黒い猫が鋭い瞳を向けている。

その瞳に浮かぶのは理知的な光、その口より出るのは理性的な言葉。意思ある者が、語りかける。


人語を理解する動物、少年は闇夜に吼えた。

























 




to be continued・・・・・・







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